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コンコンという控え目なノックの後、俯き加減で蝶の仮面を着けた彼が現れた。
この夜を何度重ねてみても彼の様子は初めての頃と同じ。一向に慣れる様子はない。その初々しさに他を知らないのだと心が喜び震える。
――ああ私だけの蝶。
私は音のする方に顔を向け、じっと彼を待つ。
彼が私に触れる事で始まる夜の戯れ――――。
*****
私はとある貴族の三男として生まれた。
跡継ぎは長男に決まっており次男はそのスペアだった。
では三男である私は――。
私は他に比べて目を引く見た目をしていた。生まれつき少しばかり脚を悪くしていたが日常生活でそれほど困る事はない。そしてその欠点を補って余りあるその美貌から望まれる声は多く、他家へ婿入りし家と家とを繋ぐ事が私の役割だと小さい頃から教え込まれていた。
今からちょうど3年前私が17の年、そろそろ婿入り先も決まろうかという頃、屋敷で火事が起こった。使用人による火の不始末が原因だったという。私は運悪く火元に近い場所に一人でいた。そして脚の悪かった私は逃げ遅れてしまい迫る炎に恐怖したが、いっそこのまま――と目を閉じた。
――――次に意識が戻った時には身体中に激しい痛みと熱で意識は朦朧としていて息もひどく苦しく、未だ炎の中にいるのかと思った。
が、どうやら私は助けられ自室のベッドに寝かされているようだった。
闇の中、自分の住み慣れた部屋の匂いを嗅ぎ取る。
その時は気が付かなかったが、私は煙で目をやられており殆ど目が見えなくなっていた。
それから数か月、段々痛みも落ち着いてきてふいに視界に入った窓に映る自分の姿に叫び声を上げた。
私の身体の半分は醜く引き攣れ、男に使う言葉ではないと思うが『社交界の花』とまで言われた私だったが――今や見る影もない。
私の叫び声は確かに聞こえているはずなのに誰も来てはくれない。
以前であれば呼びもしないのに入れ代わり立ち代わり私の元へやってきていたのに――。
私に触れると穢れてしまうというように嫌々私の世話をする使用人たち。
身体の痛みもさる事ながら使用人たちのそんな態度が痛かった。
見えないままであったならその事に気づく事もなかったかもしれないが、段々と見えなかった目も視力を取り戻し使用人たちの様子がよく分かったのだ。
だけれど私は誰の動きをも目で追う事はしなかった。私の傍に来ると息を止め眉を顰める使用人たち。それを見えていると気づかれたくなかったのだ。バケモノとなり果てても私にはちっぽけなプライドくらいはあったのだから。
この3年の間両親はありとあらゆる手を使い私を元通りにしようと奔走した。勿論愛情からではない。
その証拠に高名な医者に診せても私の爛れてしまった傷跡は戻らないのだと分かると、両親は激しく怒り私を叱責した。
そしてガラクタはいらないと、美貌でしか家に貢献する術のなかった私は別荘で療養中というていで幽閉される事となった。本当は放逐してしまいたかったに違いないが、それではあまりにも体裁が悪い。
その上使用人を一人つけてくれるというのだから利用価値のなくなった道具にしては破格の扱いとも言えた。
しかしこんなバケモノの世話をさせられる者は気の毒だな。
と、私はまるで他人事のようにそんな事を思った。
*****
どうやら私は眠っている夜のうちに移動させられていたようで、両親と話した翌日目が覚めると見知らぬ部屋のベッドで寝ていた。私が起きるまでなぜ待てなかったのか。
どこまでも自分はモノ扱いなのだと思うがもうそんな事で胸は痛みなど感じなくなっていた。
そして物音ひとつしない部屋で思いをはせるのは彼の事。
小さな頃一緒に育った乳母の息子。
よく笑い、まるで仔犬のように転げまわる子どもだった。
大人の夜の色々が分かり始めた頃、私の前から彼は姿を消した。
それでも私は彼への想いを忘れる事はできなかった。
最初はただの兄弟に対する愛情だと思っていた。実の兄たちには愛情なんて貰った事がなかったから分からなかったのだ。
彼の事を男女のそれと同じく愛していたと分かったのは、彼が私の元を去って大分経ってからの事だった。
身体が大人になり彼とのあれこれを夢に見て下履きを汚してしまった。一度だけではなく何度も何度も――。
私は彼をそういう意味で好きだったんだと分かった。
そんな事今更気づいても遅い。彼の行方も分からずおまけに自由な恋愛などできない身なのだからどうしようもない。
私は成人と同時に家の為によりよい条件の家に婿入りする事が決まっていた。
あの火事の時、目を閉じ生きる事を諦めようとした理由も実はそこにある。
叶わぬ想いを抱えて誰かの元へ行くくらいなら――と。
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