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俺が小学校二年生の頃の話だ。
学校の帰り道。
とても暑い季節だった。
友達と分かれ、一人で家までの道を歩いていた時のこと。
「お兄ちゃん」
どこからか、女の子の声が微かに聞こえてきた。
名前を呼ばれたわけではないし、妹がいるわけでもないのに、自分が呼ばれているのだと何故か瞬時に思った。
周りを見渡しても、誰もいない。
「お兄ちゃん、こっち」
姿は見えないのに、拙い発音で再びそう呼ばれた。
何となく足を運んでいくと、女の子の呼び声は急に近くで鮮明に聞こえるようになった。
「お兄ちゃん。こっちに来て」
ふと気が付くと、そこは薄暗い路地の中だった。
路地の終わりは神々しく太陽の眩しい光に包まれているが、背の高いビルに挟まれているせいで、俺が立っている場所は光が差し込まず、視界がとても悪かった。
少しずつ目が闇に慣れてきた時だ。
突然、誰かに手を掴まれた。
声にならない吸い込むような悲鳴を漏らして掴まれた手に視線を下ろせば、小さな白い手が俺の手を握っていた。
その手はビルとビルの狭い隙間から伸びていた。
目を凝らして見てみると、そこには小さな女の子が立っていた。
「だ、誰?」
その女の子はワンピースを着ていたが、汚れすぎていてもはや何色か分からない。
鼻をつく酷い臭いが漂ってきたのを覚えている。
地面に付いてしまいそうなほど伸ばされた髪は、ぼさぼさで艶も何もない。
不気味。
その一言に尽きた。
でもその子に握られたままの手は、何故か振り払うことができなかった。
「お兄ちゃんこそ、だあれ?」
女の子はとても無邪気な笑顔で言った。
「君が呼んだんじゃないの?」
俺は怯えながらもそう返す。
「呼んだけど、呼んでない」
あどけない雰囲気で首を傾げる少女。
他の小さな女の子と何ら変わらない可愛らしい仕草。
暗がりの中に佇み、俺の手をしっかりと掴んでいるその子に、不思議と恐怖を抱かなくなってきた。
「かくれんぼでもしてるの?」
一向に隙間から出てこないその子に、俺は優しく聞いてみた。
「ううん。違うよ」
「そうなんだ。じゃあ、どうしてそんなところにいるの?」
「隠れてるから」
「そうなんだ」
それ以上は質問しなかった。
その子と話を続けたいという気持ちよりも、家に帰ってゲームをしたいという気持ちの方が大きかったような気がする。
「俺、もう帰らなきゃだから」
手を離してくれる事を期待した。
でも、女の子は何故か握る手の力を強めていく。
「もう、言っちゃうの?」
呼んでないと言ったくせに、何故か寂しそうな顔をするその子。
「早く離してよ。俺、急いでるんだ」
なかなか離してくれないその女の子に、俺は冷たく言い放った。
小さい女の子の扱いなんて知らない。
「じゃあ、お兄ちゃん、わたしと友達になってくれる?」
俺が帰る気満々であることを感じ取ったその子は、渋々と言ったようにそんなことを提案してきた。
「分かった。友達になる」
友達になる気なんてない。
小さい女の子と遊んだって楽しくないからだ。
だけど、解放されるならと、軽い気持ちで承諾した。
少女はとても幸せそうに笑った。
「またおしゃべりしようね。絶対だよ」
はしゃぐように笑って、少女は俺の手を離した。
「うん。バイバイ」
俺は軽くあしらうような目を向けて、その場を後にした気がする。
だけど、何故か次の日も、俺は呼び声に誘われて、女の子のいるビルの隙間道まで足を運んでいた。
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