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ばあさん
震える礼子の手から、その手紙(?)のようなものを受け取って、そっと広げた。
赤や黒、紫でぐしゃぐしゃに何かが書いてあるけど、わからない。
花のような?人のような?
お絵描きを始めたばかりの子どもの絵のようだ。
「ごめん、わからないんだけど」
「こ、ここんとこ、これ…」
礼子が指差すところを見た。
オレンジ色でひらがなのようなものが。
「わ?れ?ち?ん?ごめ?い?」
さっぱりわからない。
「多分だけど、れいちゃんごめんね、と書いてあると思う」
「あ、うん、そうだ。れいちゃんごめんね、だ。どういうこと?その前にちょっと待ってて」
私はキッチンへ向かい、お水をコップに入れてきた。
「飲む?それから落ち着いてから話して。ばあさんはうちのパパが今探してくれてるから」
「うん…」
ごくごくと飲み干して、深呼吸をする礼子。
「あのね、一年位前にばあさん、認知症って診断されて、半年くらい前から夜に勝手に外に出て行くようになったんだ…」
礼子の旦那さんはどこだか大きな商社に勤めていて、ほとんど日本にいない。
子どもは息子が1人いるけど、県外の大学だから離れて暮らしていて、お義父さんは少し前に他界したらしい。
「まえ、電話したときもそう言ってたね」
「うん、あの頃はまだマシだったんだよ、たまにだったし、大体行くところは見当がついたし。私のこともまだわかってた。でもだんだんと毎晩勝手に出て行くし、出られないように鍵をかけたら暴れるし、ついて歩くには毎晩はとても無理で…限界かも?って思うようになったんだ」
そう言われてみれば、襖や障子があちこち破れているし、縁側の掃き出し窓にはヒビが入っている。
「ヘルパーさんとかは?」
「頼んであるけど、ヘルパーさんが来てくれる昼間はおとなしくていい人なんだよ。寝てる方が多いし。でも夜になると訳分からなくなって、独り言をぶつぶつ言いながら歩き回ってさ。普段はもう私のことなんか認識してくれなくなってさ…。
徘徊するばあさんを無理にでも連れ戻そうとすると、まるで誘拐犯に襲われたみたいに悲鳴をあげて暴れて、近所にも迷惑かけちゃうし…」
「えー、ばあさん、礼子のこともわからなくなってしまったの?それはキツい」
結婚当初から同居してるけど…なんだかばあさんとは気が合うんだよね、って礼子は言ってた。
自分の両親は早くに亡くなったから、本当の母親みたいでうれしいって。
嫁だからあーしろ、こーしろとは言わず、どちらかというと友達みたいに付き合えると言ってた。
服やメイクも一緒に楽しんでるって、そんな嫁姑関係がうらやましいなと思ってたのに。
「とにかく、もう私が限界だったんだ…」
私は黙って礼子の背中をさすった。
今はそれしかできなかった。
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