チェリー

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 青い目のお友達が来るよと言われた時、想像したのは今飲んでいるクリームソーダのような透き通った青空の色だった。実際に会ったソフィアの目は、曇りの日の早朝のような青灰色をしていた。私はどちらの青も綺麗だと思う。  三十年以上も前、ほんの子供の頃の記憶をふいに思い出したことに驚いていた。ふとした瞬間がなければ永遠に忘れていたかもしれない。永遠という言葉に気が遠くなってしまうのに、それはこんなにも日常と隣り合わせだ。カフェで偶然居合わせた外国人の子供は父親に手を引かれて席についた。中性的な雰囲気で男の子なのか女の子なのか分からない。頬にかかる透けるような金髪に、青灰色の目は一生懸命メニュー表をたどっていた。全てがソフィアに似ているというわけではない。だけれど小さな要素の一つ一つが彼女を思い出させた。  ソフィアは七歳の頃の友達だった。私の母が近所に引っ越してきた彼女の両親と知り合い、交流を続けるうちに親しくなった。ソフィアの父親は日本語ができたし、私の母は日常会話ぐらいの英語ができたのが大きかったのだろう。ある日、公園で遊んでいる時に母親が秘密をささやくような声で、青い目のお友達が来るよと言った。それは小さな魔法の言葉でドキドキしたが、私は人見知りだったし外国人ということもあって余計に緊張してしまった。ソフィアが彼女の母親に連れられて私の前にきた時、すぐに私の目を見て微笑んだ。色素の薄い金髪は短く切られていて、小さな唇と同じ薄赤いスニーカーを履いていたのがなぜか印象に残っている。私たちは砂場で一緒に小さな丘を作り、それを近くに咲いていた花で飾った。言葉が通じないのもあって会話はほとんどなかったけれど、不思議なくらいすぐに仲良くなった。  初めて会ったその日から私とソフィアは毎日のように遊んだ。どこまでも気の向くままに歩いたり、お小遣いをもらった日には一緒にお菓子を買って食べた。人工着色料の飴が二人の舌を冗談みたいに染めたのを笑いあった。雨上がりの水溜りに映る自分たちの姿をじっと見たり、公園の木陰で一緒にうたた寝していた時もあった。それは今思うと信じられないほど健康的で楽しみに満ちた日々だった。 一年半後ソフィアが国に帰ることになった日、彼女の両親に連れられて入った空港のレストランで一緒にバニラアイスを食べた。溶けてゆく淡黄色の表面をスプーンでつつきながら、ずっと続くように思えた長く楽しい祭日が終わるような感覚がしていた。いつも微笑んでいるソフィアはアンニュイな表情で窓についた雨粒を指で何度もなぞっていた。悲しいというよりも、楽しいことはいつか終わるんだなという一種の諦念に沈んでいた。寂しくないわけじゃない、でも子供の私たちにはどうしようもないと思う私は少し大人びていたのかもしれない。一年半のうちに多少お互いの言葉は覚えていたけれど、私たちは初めて会った時のようにほとんど会話をしなかった。もう会えないというほとんど確信に近い予感を持っていたし、言葉だけのまた会えるという約束はしなかった。ただ、空港の保安検査場まで見送った時にぎゅっとソフィアを抱きしめた。ソフィアも小さな力を込めて抱きしめ返してくれた。それは小さな永遠の別れで、恐ろしいほどの奇跡が起きない限り二度と覆されない。 カフェの親子の会話を小耳に挟んでいると、その子が男の子だと気づいた。ボーイッシュだったソフィアはどんな大人の女性になったのだろう、あの頃の雰囲気は残っているのだろうか。大人になった彼女に会いたいのかは分からない。私の心の中で子供のままのソフィアをずっと閉じ込めておきたい気もする。それでもどこかで同じ時を幸せに生きていてほしいと、最後に残したクリームソーダの赤いチェリーをかじりながら思った。
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