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保育園のとき、お母さんが迎えに来ると、私は必ず聞いた。
「いいものある?」
それは親がポケットに忍ばせてくる、小さなチョコレートや飴玉のことで、帰り道それを食べながら、今日あったことをおしゃべりするのが大好きだった。
「あんたにもそんなかわいいときがあったよねー」
笑うお母さんは、余命1ヶ月。
「いいものがないとむくれて、帰り道駄々捏こねてめんどくさかったわー」
陽気に言ったって、声に元気はない。
でも病気でもなくならない生まれもっての明るさがお母さんのいいところだし、私は大好きだ。
この頃お母さんは、よく昔のことをしゃべる。
ちゃんと覚えてるよ、忘れてないよ、と私にもお父さんにも、時々やってくる親戚や友達にも確かめるように。
でもしゃべった分、お母さんから何かが抜けていきそうで、私は怖かった。
「面倒な娘で悪かったわね」
「それもまたかわいいのよ。もうすぐ離れなきゃいけないんだけど」
私は何も言えずに、お母さんの手をぎゅっと握った。
昔よりも、小さくて、細くて、冷たい手だ。
「大丈夫、ちょっと先にいくだけだから。ちゃんとあんたのお迎えはしてあげるから。いいもの持って」
茶目っ気さえ交えて言うお母さんに涙を見せたくなくて、私は奥歯をぎゅっと噛み締めた。
「お迎え、うーんと先になるけどいい?」
「当たり前でしょ。今まで忙しかったんだから、向こうでのんびりさせてもらうから」
そう言った母が旅立ったのは、1週間後だった。
線香番をしながら、ふと思ってしまった。
「ねえ、お母さん。あの世のいいものって何?」
チョコレートや飴玉でも持って来るんだろうか?
いやどちらかというと、それはこっちからお供えするものじゃない?
考えるとなんだか笑えてくる。
ああ、まだ先だろうけど、お母さんのお迎えが楽しみになってきた。
その時に話せることを、いっぱい作っておかないとね。
「気長に待っててね」
遺影のお母さんに、私は小さく語りかけた。
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