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『レッドアップ・ライト』
サイレンの音が明滅する赤い光とともにしきりにガラス戸の向こうを駆けていく。やっぱ赤は目立つよな、と心の中でひとりごちながら、男は目の前のお好み焼きに向き直った。
「なんかあったんかな?」
店主に尋ねる男の手は、丸いお好み焼きをちまちまと四等分、六等分、八等分と格子状に切り分けていく。
「ああ……いつものことですよ」
「いつものこと?」
「喧嘩です。十件先の居酒屋とその隣のスナックの店主同士が仲悪いんですよ。いつも客取っただ、勝手に店先に貼り紙貼っただって、ささいなことに託つけて警察呼んでまで揉めてるんですよ」
「へえ……」
「ちっさいすよね、ほんと。やることが」
「……ちっさい、ね」
じゅうっ、と鉄板の上で生地が焦げた音が苦い匂いとともに立ち上る。
「首相殺害でもすれば大きいことになんのかね?」
「へ? ああ、まぁそうなんじゃないすか? あんな些末なことに借り出される警察の身になればそんな大事件の方がよっぽどいいんじゃないすか」
「へえ……」
切り分けられて十二分割になったお好み焼きの断面に、紅しょうが脈々と根を張っている。細長いそれを、男はぶつり、ぶつり、としらみ潰しにブツ切って、鉄板の上に散らした。そして、小さくなったお好み焼きの破片をひとつひとつ、咀嚼しながらかっ食らう。食べ終えて満足すると、男はテーブルに代金を置いて、厨房に引っ込んだ店主に告げた。
「じゃあ、ごちそうさん」
黒い鞄を背負って、颯爽と店を出る。少し歩いた先の店の前に、パトカーが雑に一台止まっていた。店内からは怒号の応酬が聞こえる。まあ、そうがなるなよ。男は心の中でそう言うと、外側から鞄の中のナイフケースを確かめるように、そっと撫でた。
ーーさて。今日もちっさい事件を横目に流しながら、仕事に向かいますか。
一昨日は警察幹部、昨日は官僚。徐々に近付くトップに、男の胸は高鳴る。ああ、楽しみだ。ちかちかと赤いランプが目の端にちらついて、男の視界を赤く染める。瞬時に首から飛び散る血飛沫が記憶の中から再生される。
赤が目立つ夜がいい。とりわけ危険な香りが漂う夜が。そういう時は、仕事へのモチベーションがさらに上がる。夜のくすんだ空気を肺に溜めるように、男は天を仰いで深呼吸をした。目を閉じた男の脳裏には、血管をぶったぎる感覚と、そこから飛び散った血が濡らした頬の生温かさが、くっきりと思い描けていた。さあ、夜直しを始めよう。
去っていく男の背中には、サイレンの赤に似た鋭い光が、心臓のあたりを横切った。
【テーマ:何かの軽犯罪(キーワード:首相)】
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