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変えられない現実に
――知らないふりをすればいい、もし花那の記憶が戻っていても俺が気付かないふりさえしていれば彼女はいなくならないかもしれない。
花那が心を決めた頃、颯真も同じように悩みながらも一つの答えを出していた。花那の様子で何となく彼女の記憶が戻ったのではないかと颯真も分かっている。
だがそれを認めれば、二人の関係は今度こそ離婚という形で終わりを迎えるに違いない。それはどうしても避けたかった、颯真にとって花那はすでにかけがえのない存在へと変わってしまっていたから。
「先生、この患者さんのお薬の事なんですけど……」
若いナースがそう言ってカルテを確認して欲しいと渡してきた。カルテについている小さなポストイットには彼女のスマホの番号が記されていた。
颯真が妻帯者だと知っていてもこういう女性は後を絶たなかった。彼が妻である花那の話を今まで誰にもしたがらなかったから、もしかすると不仲だと思われているのかもしれない。
「メッセージ、待ってますね」
小さな声でそう囁いて新人ナースは仕事へと戻っていく。そんな様子に颯真は大きなため息を吐くと、はられたポストイットをクシャクシャにしてゴミ箱に投げ捨てた。
――今は花那の事だけで頭がいっぱいだっていうのに、他の事まで考えてなんかいられるか。
目を閉じれば浮かぶのは花那の無邪気な笑顔やはにかんだ顔、そんなのばかりで。この感情が何て言うのかなんて、颯真にだってちゃんと分かっている。
ただ、今のままでは彼女の心を手に入れるすべがないだけだ。
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