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バク4
昼休みの教室。
廊下側の前から3列目の席。
そこでいつも彼はひっそりと一人で本を読んでいる。
ヒョロっと伸びた長身を窮屈そうに屈め、長い手足を折り畳んで、夢中に文字を追っている。
長い首の先には、不釣り合いにぷにっと柔らかそうな丸い童顔。
それだけ見れば中学生と思える幼さだ。
成績が良く、テスト前後はたまに名前を耳にするが、普段は誰の話題にも挙がらない。
クラスメイトから無視をされている訳でも、虐められている訳でもなく、ただただ大人しく一人で居る。
そんな間宮君の落ち着いている空気感が私は好きだったりする。
「今日は何読んでるの?」
主が不在な前の席に横向きに腰掛けると、間宮君の机に片肘を付いて本を覗き込む。
「…時田さん…。」
そろそろと上げられた幼い顔。
彼の周囲だけ時間がゆっくり流れているのではないかと錯覚してしまうくらい、それはのんびりとしている。
「今日は『星の王子さま』だよ。何回も読んでいて殆ど内容覚えちゃってるんだけどね。」
開いているページに指を挟んだまま、軽く閉じて表紙を見せてくれた。
白いハードカバーに見慣れた男の子のイラスト。
「懐かしー!私の家にもそれあるよ!もう何年も見てないけど。…絵が可愛くて読み易いよね!…だけど、イマイチ内容が理解出来なかったって言うか…。難しくて不思議な感じじゃない?」
「あー…、そうだね。翻訳の言葉回しのせいか、元々の作者の例え方のせいか、モヤモヤする所あるよね。自分も内容覚える程読んでるくせに、ハッキリこうだ!って理解は全然出来てないし。」
私の言葉に頷くと、可愛らしい顔に似合わず低く落ち着いた声で語り出す。
「…でも。なんか好きなんだよね。純粋だけど残酷な感じとか。傍から見たら無意味で滑稽な行動も、当人にとっては当たり前の日常だったりとか、そういう雰囲気が…。」
表紙を優しく撫でながら間宮君は目を細めた。
その伏せられた睫毛にキュッと胸が反応する。
そして私も遠い昔に読んだ時の記憶が蘇ってきた。
「あー、ちょっと分かるかも。この中に、世の中の優しいも残酷も面白いも寂しいもアホらしさも不条理も全部が詰め込まれてる気がして…。胸がザワザワして、なんか怖くなって一回読んだきり読み返してないんだよね。」
「時田さんも?!」
唐突に発せられる大きな声。
間宮君は意外と頻繁にこうなる。
主に本の話でのみだけど、議論が楽しくなってくると興奮を隠さなくなるのだ。
ワクワクと楽しそうに丸い瞳を輝かせて続ける。
「怖い気持ち分かるよ。自分が何度も読み返してるのだって、ただ好きだからじゃなくて、小さな救いを探すためなんだ。今までに読み落とした幸せが無いか、もっと喜びがあるんじゃないかって感じで…。だから怖いのも分かる。賛否分かれてるけど、自分はどうしてもこれがハッピーエンドには思えなくてさ。縋る様に救いの片鱗を毎回探しちゃう。」
「あー、分かる分かる!出てくるキャラクターが全員未熟だし、自分勝手で、だけど一生懸命でなんか魅力的じゃん?何処か共感してしまったり愛おしくなっちゃって、幸せを願わずにはいられないのにさ。分かり易いハッピーエンドを迎える登場人物が一人もいないっていう切なさ?何かちょっとでも救いを求めちゃう感じになるよね。」
呼応して私も声が大きくなってしまう。
「あー。なんか急にまた読みたくなってきた!私も帰ったら読むね!」
そう宣言する私を、間宮君は先程本を愛でていた時と同じ様に、優しく目を細めて見てきた。
嬉しくなって微笑み返す。
この時間がやっぱり好きだ。
周囲から隔絶され、ゆっくりと流れる優しい時。
「アズミ!」
唐突に教室の反対側からその世界を引き裂く優里亜の尖り声。
驚き、そちらに目をやる。
キョトンとして動かない私に痺れを切らし、優里亜はズンズン目の前まで進んで来た。
そして今度は間近で叫ぶ。
「アズミ!」
「な、ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃない。行くよ。」
強引に私の腕を引いていく。
その勢いに気圧され、抵抗出来ずに着いて行く。
喩え様の無い気まづさに不安を掻き立てられ、間宮君を振り返る。
彼は何でもない風に視線を本に戻し、こちらを見る事はなかった。
優里亜は窓側の席まで私を引き摺って来ると、振り返り小声で凄む。
「間宮みたいな奴にフレンドリーにしたらダメだよ!」
「へ?何で?」
「何でじゃない!アズミは呑気すぎ!」
意味は分からなかった。
だけど間宮君を悪く言っている事だけは分かる。
本人に聞こえてやしないか、間宮君がこっちを見ていないかが気になるのに、怖くてそちらの方を見る事が出来ない。
「勘違いされてストーカーとかになったらどうすんの?」
衝撃を受ける。
何を言っているのだろう。
全く違う。
間宮君はそんな人じゃない。
そう言いたいのに周囲の視線が気になって発言できない。
「もうあんな奴に気紛れで絡むの止めなよ。」
優里亜は何の根拠も無く完全に決め付けている。
気紛れなんかじゃない。
私は間宮君と話す時間が好きなんだよ。
私の方が間宮君との時間を必要としているんだよ。
それを知りもしないで失礼な事を言うなんて…。
それでも私は、グッと手を握りただ黙っていた。
完全に誤解しているとはいえ、優里亜は私を心配して言ってっくれている。
優里亜に嫌われたくない。
クラス内で揉めたくない。
その一心で強く否定する事を躊躇い、声を出す事が出来なかった。
そして思考停止した私は、卑怯にも神様に丸投げした。
どうか、今のこのやり取りが間宮君の耳に届いていませんようにと。
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