2 かくしているのは

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「今日、っていうか、今日だけじゃないけど……シャツとネクタイ、とか……新しいの買う時選んでくれたじゃん……」 「うん」 「……センス、いいですねって言われた……髪型も女子社員に誉められた……いや、誉めてはいないかな?ひやかされただけかも」  前髪をちょいちょいいじりながら香川が言う。 「ひやかされた?」 「彼女出来たの?って、まぁでもこれよく言われるんだけど何でかな?弁当は友達が作ってくれてるって言ってるんだけどさ……何か信じてもらえてないんだよなぁ……」 「ふーん」  毎日のように手作り弁当を渡してくるのが同い年の男だとは、誰も思わないだろう。  思われなくていいと思う。周りが言うように恋人が出来たと思わせておけばいい。  夏用のスーツが欲しいと言っていたので、帰りに待ち合わせをして一緒に選んだのは大分前の話。その後も通販でシャツとネクタイを買うけどどれがいいか、なんて相談にも乗った。 「お前は何着ても似合うよな」 「香川も自分に合うものを着ればいいんだよ」 「……よく、分かんないし……」 「選んであげよっか?」 「いいの?」  それは社会人一年生の頃の事だ。あの頃はまだスーツに着られている感のある香川だったが、2年目にもなればすっかりスーツも板に付いている。  弁当を届けるついでに着ていく物に口を挟むのは、別に香川の事を思っての事だけではない。 「そうだ、お前手が乾燥するって言ってたよな」 「え、うん」 「クリーム使ってる?」 「前に使ってたのあったんだけどさー、どっか行っちゃって……帰りに買ってくればよかったな」 「じゃあ、やるよ」 「?」  部屋の隅に置いてある本棚の引き出しから、手の平サイズのハンドクリームを取り出す。 「これ試供品なんだけど、貰ったからやるよ」 「いいの?」 「匂い、嫌じゃなければ使ってくれ」 「うん」  貰ったというか、買ったハンドクリームに小さいサイズがキャンペーンとして付いていただけなのだが。まぁ広義では貰ったと言っていいだろう。  香川は手の甲に1センチ程クリームを出し、まず匂いを嗅いだ。 「何か良い匂い、キツくないしそんなに気にならない感じだ、ありがと」 「うん」  家事をやるせいか冬場は手が荒れる。あかぎれやひび割れになる程ではないが、気になるのでこの時期はクリームが欠かせないのだ。  香料のキツくない、微かに匂う程度のハンドクリーム。何でも良かったけど、おまけ付きに目が行ったのは香川の事を思い出したからだ。 「毎日塗っとけよ」 「うん」  香川はしっかりと手の全体にクリームを塗り込んだ。手の感触を確かめるように、指でなぞって、そして満足そうに笑う。 「ありがと、すべすべだ」 「そりゃ、よかった」  きっと香川は気付かない。  自分と同じ匂いがするなんて思ってもいないだろうな。  そして、きっと職場でも何気なく使うのだろう。どちらかというと女子向けのハンドクリームだ。誰から貰ったか言うか?言えば良い。勝手に彼女からだと思われていればいい。  一緒に時間を過ごせた大学時代なら直接牽制も出来たが、今は違う。  でもどうにでも出来る。  こんな事しても香川の為にはならないのに。  自分のエゴで香川に出来るかも知れない恋のチャンスを潰しているのに、罪悪感はあまりない。  ごめんな。オレが幸せにしてやれればいいのに。  告白する勇気もなく、ただ隣で飯を提供するしか出来ないのに。 「明日は鍋にするよ」 「いいな、このところ寒いもんな」  この心地よい信頼関係がいつまで続く?  有限だって分かってる。  香川に彼女が出来れば直ぐに終わるだろう、だからそれを少しでも先延ばしする為こんな回りくどい真似をしているのだ。  いつか、お前は嬉しそうに言うだろうか、彼女が出来たと。  祝福してやれるだろうか、そんな事考えたくもない。  いっそ壊してしまおうか、こんな関係。何度も思った。力ずくでどうにかしてしまおうかと、何度も思った。 「三田村?」 「なに?」 「……なんか、難しい顔してるから……」  いつもはそんな事言わないのに。  笑顔を取り繕い、誤魔化すように視線を反らした。 「あー……なんだろ、疲れてんのかな?」 「無理すんなよ……夕飯……」 「大丈夫、飯作るのは息抜きにもなるんだ」 「そうか……?」 「うん」  疑わしそうに見つめていた香川がふにゃりと笑った。  お前を傷付けると分かっているに、力ずくでどうにかなんて出来る訳がない。そんな風にこの温かな関係を終わらせたくない。嫌われたくない。 「鍋、豆乳とキムチどっちがいい?」 「その二択なの?」 「うん」 「んー……豆乳?」 「うん、分かった」  手を伸ばせば触れられる距離で、ずっと隠しているのはどうにも出来ない恋心。  報われなくてもいい、ただ側にいてお前を見ていられればそれで。笑顔を曇らせたくないから。  そんな想いは初めてで、こんなに優しい気持ちで誰かを好きになれたのは初めてだから。  だから、いつもと変わらない表情(かお)でお前に料理を作るよ。  オレにはそれしか出来ないから。 完
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