4 おやすみはまだ言わない

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「今日は素麺だけど、足りなければ焼おにぎりチンしよっか?」  素麺の入った丼と焼いた厚揚げの載った皿を前に香川はちょっと考えて「うん」と言った。 「いただきます」 「はい、どうぞ」  上に載った具材を崩しながら素麺を啜る香川を見てから、キッチンへ回る。  冷凍庫から冷食の焼おにぎりの袋を取り出す。 「一個でいいか?」 「うん、一個」 「んじゃ、オレも一個食べよ」  二個をシートごと切り離す。  袋の裏面の表示を見ながら電子レンジの扉を開け、中に置く。 「あ、そうだ、明日休みだろ、麦茶じゃなくてビールにする?」  顔を上げた香川が三田村を見る。キッチンからは二人がけのダイニングテーブルがよく見える、眠たそうな顔の香川は考えるまでもなく首を振った。 「今日は眠いし飲んだら寝ちゃいそうだしいい」 「ん、分かった」 「三田村が飲むなら飲むけど」 「オレはいいよ」 「……じゃあいい……」  また、ずるずると食べ始めた香川を眺めながら電子音を聞く。  風呂に入ったら即寝そうだな。  香川の顔はそれほど眠そうなものだった。 *** 「寝てなかったのか」 「あー、まだそんなに眠くないし」  スマホから顔を上げれば、幾分さっぱりはしたようだがまだ眠そうな香川が立っていた。 「コーヒー?」 「お前も飲む?淹れてこようか?」 「……んー、いい……」  しょぼしょぼした目で首を振る。そのまま寝室へ行くかと思ったが、香川は三田村の隣へ腰を下ろした。  二人がけのソファーでほぼ距離を置かず座った香川は、三田村の肩に頭を乗せはぁーっと長く息を吐き出した。 「お疲れ……あ、まだ乾いてないじゃん」 「……だいたい乾いてるよ……」  頬に触れた香川の髪はまだ湿っている。8月なので風邪をひく事はないかもしれないが、と思いながらその髪を撫でる。 「……あぁ、わり……」 「……べつにいい……」 「いいんだ」 「……うん」  眠いからかな?  普段だったら、こんな風に頭を撫でさせないのに(男だからだとか、同級生なのに子供扱いするなとか、そんな理由を香川は口にして嫌がる)今日は素直で大人しい。  相当眠いのか。  それとも。  天辺から後頭部に掛けて往復させる。少し湿った髪は染めた事などない黒髪だ。きっとこんな風に撫でられるのは家族以外オレが初めてではないだろうか。聞いた事はないけれど、多分間違ってはいないと思う。 「お疲れ、香川」 「ん……」  先週辺りから残業が続いているのは、香川の職場で急に体調不良で入院した社員が出たからだそうだ。  引き継ぎもなく突然仕事が増えた、しかも普段やらない事もやってるから大変。  そんな風に愚痴を溢していたけれど、それでも「疲れた」と香川は言わない。  オレも働いているし、多分家事の負担が多いと思われているからだろう。気を使わなくてもいいのに。 「香川」  肩を抱き額にキスを落とす。  香川は嫌がる素振りも見せず大人しく受け入れる。別にいつも抵抗される訳ではないが、文句が飛んでこないのはちょっとだけ物足りない。 「ベッド行く?眠いだろ?」 「……まだ……」 「いいの?」 「うん」  珍しく香川の腕が伸びて、三田村の胸の中に収まる。腕はそのまま背中に回り、緩くTシャツを掴んだ。 「……香川」  密着した場所が熱い、風呂上がりの香川とだからなのだが別の熱も沸き上がってしまう。 「……香川、寝てる?」 「おきてる」  声は眠そうだけどな。 「香川」 「……もうちょっと……いいだろ、たまには」 「いいけどさ……そういう気分なの?」 「うん、甘やかされたい気分」  甘やかされたい気分?  そこは甘えたい気分ではないのか?  素直になりきれないのが香川らしい。  三田村は口元に小さな笑みを浮かべ、香川の背中を優しく撫でた。 「じゃあ、ベッドまで運ぼうか?」 「……それはいいよ」 「残念だな」  抱き付かれているので表情は分からない、声はまだ眠そうで、だけどこんな風に甘えてくる、いや、香川の言を借りるなら甘やかされているのは珍しい。  疲れも眠気も混じって面倒くさくなっているだけなのだろうか。 「香川」  明日は土曜日、いつもだったら二人とも休みだからベッドに行けば即寝るなんて事はないけれど、こんなに眠そうな恋人に何か出来る訳もない。 「明日はゆっくりしよ?」  返事の代わりに頭が動く。返事をするのも億劫なのだろう、ならばさっさと寝室へ行けばいいのに。  そうは思うが、この熱を手放したい訳ではない。 「香川」  でも、そろそろ寝室へ連れていくべきだろう。名残惜しいがここまでだ。
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