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1 アイスキャンディーとエプロン
バスを降り、疲れた体を引き摺るようにして自宅マンションを目指す。バスから降りたのは香川一人で、歩道も人の影は見当たらない。
残業のせいで22時近い。街灯は等間隔で灯り、車の往来も少しはあるので寂しい道という訳ではないが、夕方からの帰宅時間を過ぎれば人通りがぐっと減る。
早足で、5分も歩けば目的地に辿り着いた。
築30年の古めかしい外観のアパート。やや重たい硝子扉を押し、エントランスへ入る。オートロック機能なんてものはない。蛍光灯の灯りの中、壁際には郵便受けが並んでいる。
先に帰っている同居人が確認していると思うので、素通りしてその先にある階段を昇った。
二階まで上がり、一番奥まで進んだ角部屋が香川が恋人と住んでいる部屋だ。
スーツの内ポケットから鍵を出して鍵穴に差し込む。お腹空いた、そう思いながらドアを開けて中へ入る。
「ただいま~」
内装はリノベーションしてあるので、築年数の割に明るく清潔感のある部屋だ。
柔らかいクリーム色の壁紙と無垢フローリングの廊下。廊下にはリビングからの明かりが洩れ、薄明かるい。
その明かりは独り暮らしの時にはなかった安堵感を、いつも香川に与えてくれる。次いで聞こえてきた三田村の声に少しだけ疲れが癒される。
「おかえりー」
玄関を上がると直ぐにトイレのドア、その隣に洗面所の引き戸、向かいには個室のドアが二つ。2LDKのこの賃貸マンションは、築年数の古さと駅から徒歩20分という立地の為この辺りの相場と比べると安い物件だった。
今でも時々訪れる、三田村が学生時代にアルバイトをしていた居酒屋の常連客がこのマンションのオーナーらしく、その伝でこの部屋を借りられる事になった。
最初は駅から遠いと思っていたが、バスもあるし運動不足解消には丁度いい。築年数は古いが水回りも含めリノベーションしてあるので、快適に過ごせている。住めば都とでも言うか、中々住み心地が良いと香川は思っていた。
突き当たりの部屋がリビングだ。リビングダイニングとでも言おうか。ただ、キッチンも含め壁も仕切りもないのでそこそこ広い空間になっている。
「今日なに?」
ドアを開け、体を半分リビングへ入れキッチンに立つ三田村に聞く。
「オクラと豚そぼろ丼~すぐ食べる?」
「食べる」
「分かった」
手とついでに顔を洗い、着替える為に自室のドアを開ける。
「……」
いつもの三田村だった。
オレが先月の誕生日にあげたエプロンをして……気に入ったのかキッチンへ立つ時は毎回している。濃紺のエプロンと一緒に包丁セットもプレゼントした。
誕生日に包丁?という感じかもしれないが、良い所の包丁なので一本1万円以上する代物だ。多分気に入ってくれたんだと思う。
包丁片手にありがとう!って満面の笑みをされた時は間違えたか?ってちょっと思ったけど。
そう、エプロン。
三田村はエプロン姿だった。
アイランドキッチンという独立型キッチンなので、リビングから三田村の調理姿がよく見える。上半身しか分からなかったけど、エプロンは見えた。
でもエプロンの下は……肩がはっきりと見えた。いつもならティーシャツとかワイシャツが見えるのだが今日は肌色しか見えなかった。
……暑いしタンクトップの上にエプロンだったのかな……?
多分そうなんだろう。あと少しで9月だがまだまだ暑いし。
そう結論付けて、香川は部屋着のティーシャツとハーフパンツに着替えると自室を後にした。
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