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親しき仲には礼儀なし
「起きてよ~! ルイーゼ、ルイーゼってば。ねえ、遅刻しちゃうよ!」
ルイーゼの朝は、この声とともに始まる。薄目を開けると飛び込んでくるピ
ンク髪が、やわらかい陽の光を浴びて揺れている。
ルームメイトで、親友。どんな言葉を尽くしても表現しきれない女の子、彼
女の名はモモエ。綿飴みたいなふわふわの髪にリボンカチューシャがよく似合
う。魔法学園一番の美少女と名高い。六畳の相部屋の二段ベッド、陽の当たら
ない下段で、制服のままベッドに入っているルイーゼは、布団をかぶりなおし
た。
「ちょ、ルイーゼぇぇぇぇ!」
朝に弱いルイーゼを叩き起こし、始業時刻に間に合うよう引っ張って連れて
行くのはいつもモモエの役目だった。
午前の授業を終えて、ルイーゼは椅子にすわったまま大きく伸びをした。無
造作にのばした黒髪にはまだ寝癖がついている。
「はー、やっと目が覚めてきた……」
「あらルイーゼ、今日も死神がさまよっているようなヒッドイ顔ね。しかも制
服に皺がついてるじゃない。すぐにアイロンをかけたほうがよくてよ」
「ああ。わたし、寝るときから制服なんだ」
「は?」
「朝、着替える時間ないからさー、編み出した技なんだ! 頭いいでしょ。あ
んたもやってみれば」
「冗談じゃないわよ!」
ロッテの整った細眉が怒りに歪んだ。彼女は薔薇園のある立派な屋敷で育っ
た、どこの社交界に出しても見劣りしない高貴なお嬢様である。朝は寮を出る
3時間前に起床。軽く湯浴みして汗を流してから、制服に袖を通し、寮の花壇
の世話、朝の軽い散歩、お茶と食事、新聞に目を通し、日記をつける。健全な
魂は健全な肉体に宿る、を地で行く人だ。全寮制の学園に入学してからは無
論、お付きの者はいないが、寮の部屋はきれいに保ち、生家の暮らしと遜色な
い水準を維持している。
「ふん、あなたに話しかけたわたしが愚かだったわ」
ストレートボブの髪を律儀に揺らしながら足早に、ロッテは取り巻きの女生
徒たちの元へ戻っていった。良家の出身で成績は学年トップ、さらに容姿端麗
と三拍子そろった彼女は、「ロッテ様」と呼ばれてクラスの女生徒たちに慕わ
れている。
「なによぉアイツ、用もないのにちょくちょく口挟んできて。さてはツンデレ
か? はは~ん、わたしのこと気になっちゃうのか。恋か」
「それは、ちょっと違うんじゃないかな……」
隣の席のモモエが困ったようにほほえんで告げた。
「ルイーゼ、期末テストがんばろうね。あたしたち進級、けっこうあぶない橋
わたってるし」
「だね。今回も一緒に勉強しよう! モモエとならがんばれる」
ふたりは魔法学校中等部の二年生だ。この春から夏にかけては、一年間の総
括である学期末テストがある。
放課後、ルイーゼとモモエは図書館で個室を借り、勉強会を開いた。一緒に
勉強とはいえ、実際はルイーゼがモモエに懇切丁寧に教えるのだ。モモエにと
ってルイーゼの説明はどの先生よりもわかりやすい。
古代魔法を学問として研究している、アクリア・シュー国が運営する魔法院
シュピール。魔法学の権威である。その若き研究者を育成する教育機関が、こ
のシュピール学園である。
ここでは6歳から22歳までの若人が日々鍛錬し学んでいる。勉学に励むため
の設備が申し分なく揃っている。かつて天才魔法士たちが強大な力を持ち、栄
華を極めたこの国。全盛期から長い時が経ち、魔法を使える者は絶えた。この
街に残されたのは、科学では解明できない頑丈な建築物と丘から見下ろす美し
い景色と、知の巨人である世界一大きな国立図書館だ。
シュピール学園の校舎はこの図書館と隣接しているため、いつでも好きなだ
け勉強できるのだ。
成績は悪くないルイーゼだったが、寝起きが悪いことや、サボり癖が玉にき
ずで、出席日数が足りない。モモエは持ち前の明るさで教師陣の受けはいい
が、成績は振るわず、いつも赤点ぎりぎりのラインを低空飛行していた。
彼女たちはお互いの欠点を補い、支え合ってきた。
ふたりは仲良し、ふたりは相棒。
自他ともに認める名コンビ。
――の、はずだった。
校舎の鐘の音が、寮まで響いてくる。モモエとモモエの荷物が忽然と消えた
部屋で、ルイーゼはひとり目覚めた。毎朝、起こしてくれた明るい声はもうな
い。その主が不在の部屋で、寝ぼけなまこで、唸りながら、ルイーゼはベッド
から這い出る。始業時間からきっかり30分が、すぎていた。
何度もふたりで勉強し、おやつを食べ、ゲームで遊び、夜更けまで語らった
テーブルに、一枚の紙片が置かれていた。
『ごめんね、ルイーゼ。あたし学校辞める』
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