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・あの子へ。
「ままー。ゆかままー。ねえどうしたのー?」
手を繋いだ先に視線を送ると、娘の由衣がわたしの事をじーっと見ていた。反対の手を見ると、食材の入ったスーパーの袋が握られている。
娘を迎えにいった記憶も、買い物をした記憶もはっきりとしない。どうやらあの手紙を読んでから、ずっとぼうっとしていたようだ。
こめかみを掻く。すると由衣は、「また、あたまいたいの?」と眉を寄せた。
わたしは首を横に振る。
「違う違う。ただ、さっき、ちょっと手紙を読んでてね。その事考えて、ぼーっとしてたの」
「あ、それってラブレター? うわきー?」
「うーん? ……そうなのかなあ。……あ、パパには内緒だよ?」
「どうしようかなー」
「えー?」
笑いながら、ふと横を見る。お店の窓ガラスに、わたしの姿がうっすらと映っていた。
「…………」
反射的に、その首筋に目がいく。けれどそこに、歯形らしきものはついていない。
――わたしには、ついていない。
それが現実だった。
「……っ……」
突然、ひどい頭痛に襲われる。由衣に悟られないよう、必死で唇を噛んだ。
――なぜ、わたしの首筋には歯形がついていないのか。それは真衣が、ずっと由香の事を噛まなかったから――ではない。
真衣は結局由香の事が信じられず、疑い、由香の血を吸った。認めたくはないけれど、間違いなく吸ったのだ。それが現実だ。
そしてその時、真衣は知った。由香が心から、真衣の事を大切に思っていた事を。
でも、それでも真衣は、信じられなかった。あいつは、どうしようもなく、馬鹿だったから。
由香の心を、もっと味わいたかった、から。
だから。
もっともっと、血を吸った。
それだけ大量の血を吸ったら、由香がどうなってしまうか――そんな簡単な事さえ忘れて。
「……ままー? ゆかままー? またかんがえごとー?」
「うん、ちょっとね」
「わーっ! うわきだー!」
由衣の手が離れる。ぱたぱたと駆け出す由衣の首筋には、赤い歯形がくっきりと浮かんでいた。
「…………」
――わたしは、真衣。
中学生の頃、大好きだったトモダチの由香を殺してしまった。
随まで飲み干した由香の美味さを、忘れたことはない。
以来、真衣は自分を憎み、その存在を殺す事にした。そして今は『由香』として生活をしている。
由香の家族、由香のトモダチ、同級生、知り合い、そのすべての血を吸って、全員にわたしを『由香』だと思い込ませている。真衣という存在を消した上で、ずっとわたしは、『由香』を演じている。
――でも。わたしはあの子じゃない。
かけがえのない、わたしのトモダチ。
わたしの、本当のトモダチ。
大好きな由香は死んだ。
どんなに周りのみんなに自分を『由香』だと思わせようと。呼ばせようと。わたしは所詮わたしでしかない。
今でも。未だに。誰の事も信じる事が出来ない、ただの哀れな生物だった。
「……由香……」
トモダチの名前を呼ぶ。
空に向かって、小指を伸ばす。
でも、その小指は、どこにも届かない。
ヤクソクを破ったのは、わたしの方。
あたたかな小指を絡めてくれる相手はもういない。
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