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・わたしからわたしへ。
――
本当は書こうかどうかとても迷ったのですが、やっぱり書く事にしました。
杉内真衣は吸血鬼です。
きっといつか、わたしはわたしでなくなる。その前に、あの子の事をここに書いておこうと思います。
――
手紙は、そんな出だしから始まっていた。将来の夢でもなく。好きな人の名前でもなく。
耳元で、『ちょっとー、由香、聞いてるー?』という声がして、わたしははっと我に返った。だるそうにあくびをする母は今年で還暦を迎えるけれど、その声色は相変わらず若々しく、まるで友達と話しているかのような気持ちになる。
「大丈夫。聞いてるよ」
わたしは手紙をテーブルの上に置いて、ソファに深く腰掛けた。スマートフォンを持ち替えて、本棚の上の置き時計に視線を向ける。
午後2時。そろそろ娘を迎えにいく時間だ。
今日は天気も良いし、帰りに一緒に買い物でも行こうかなー、と独り言のようにつぶやくと、母は『あんたも大人になったねえ』としみじみ言った。
「……えー? 何、突然」
『だってその手紙、由香が20年前に書いたんでしょ? ほら、あれ……なんとかカプセルって言うの?』
「タイムカプセル、ね。小学校卒業の時に埋めたんだけど、正直すっかり忘れてたよ。気持ち的には、そんなに昔の事でもないのにね」
『確かに、早いもんだねえ。あの頃のあんた、ほんと危なっかしくて目を離せなかったけれど、今はもう結婚して、あんたがお母さんだもんねえ』
「ねー」
わたしは相づちをうちながら、再び手紙に目を落とした。
母から『同窓会の案内が届いたんだけどどうする-?』という連絡が届いたのは、数週間前の事だ。
小学校の同窓会。懐かしいし、もちろん行きたいという気持ちはあった――のだけれど、結婚を機に引っ越した関係で今は故郷からかなり離れた場所に住んでいるし、何より娘もまだ小さいから、と結局断ったのだった。
ただ、同窓会の日にみんなでタイムカプセルを掘り起こしたようで、出てきたものが実家に送られてきたらしい。それを母がこうして郵送してくれた、というわけだ。
かわいらしいカエルのイラストが描かれた便せんは、全部で5枚。見慣れたまるっこい字で、びっしりと埋まっていた。
『……で。何が書いてあったの?』
興味津々、という感じで、母が声を弾ませる。『両親への感謝の言葉とか書いてある? あるなら読み上げてみ』
「あー……いやー……。まだ頭しか読んでないから分からないけど、書いてないかもね。そもそも自分宛ての手紙みたいだし」
『なあんだ。つまんないね』
ぶーぶー言っている母に苦笑しつつ、わたしはスマートフォンをぎゅっと握る。
やがて、脳内にこびりついているその名前を、ふうっと口にした。
「……ねえ、お母さん。杉内真衣って子、憶えてる?」
こちん、こちん、と時計の針の音だけが、静かに辺りを包み込む。
しばらくして返ってきたその言葉は、わたしが想像していた通りのものだった。
「――え、誰? そんな子いたっけ?」
それを聞いて、思わず笑みをこぼしてしまう。
――そう。真衣はもう、この世界にいない。
これでいい。
これでいいんだ。
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