18 逃走

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18 逃走

「・・・で?」 「でって・・・・・・だから・・・いなくなった・・・」 「お前はそれを追わずに、どうして俺のところに来た?」 「・・・・・・」 最高潮に機嫌の悪い沢渡(さわたり)の前で、俺は通常の半分くらいのサイズに縮こまって座っていた。 「信じてもらえないと思うんだけど・・・多分、ちゃんと帰ってくる、と思う」 「根拠を言え、根拠を」 「・・・・・・か・・・勘?」 ごつん、という鈍い音と脳天を直撃する痛み。 「いてててて・・・」 「じゃあその勘の根拠を言え。お前のことだ、何か進展があったんだろ」 「はぁい・・・」 史遠(しおん)と初めて一線を超えた翌朝、目を覚ますと隣には誰もいなかった。 シーツはまだ暖かく、多分俺が目を覚ます直前にどこかへ行ったのだと思う。昨日帰ってきた時に持っていたボストンバッグも見あたらず、どうやら近所に出かけたわけではなさそうだった。 「神苑(かみぞの)史遠(しおん)と何があった?」 「・・・・・・」 「ヤったのか」 「・・・・・・」 「ヤって、翌朝いなくなったってお前・・・」 「・・・・・・・・・」 「何とか言え!」 「沢渡!」 俺は立ち上がり、デスクに身を乗り出した。機嫌の悪い沢渡はびくともしない。 しかし俺は怯まず言った。 「あいつは・・・史遠は、多分、皇子だ」 「・・・タトゥーは無かったんだろ」 「それは確かに・・・なかった。でも、間違いない」 「なんでそう思うんだ」 「これだ」 俺は胸ポケットから、最初に辺見から貰った少年時代のオウジサマの写真を取り出した。彼の首のあたりを指差して説明する。 「ここ・・・見えるか、赤いの」 「ん?・・・ああ、ネックレスについている石か」 オウジサマのシャツの襟からのぞくシルバーのチェーン。それには小さな宝石のトップがついていた。 「これに似たのを、あいつが持ってた」 「・・・それだけか?」 「史遠はこれに似た赤い石のストラップを大事にしてる。たまたま落としたのを俺が拾って、実物も見てる。間違いないんだ」 「何度も同じことを言うようだが、彼にタトゥーは無かったんだろ」 「・・・それが」 俺は史遠がTシャツを脱ぎたがらなかったこと、風呂屋でも不自然に胸を隠したことを話した。 「弓道場で見た時はなにもなかったって言ってなかったか?」 「確かにそうなんだが・・・もしかして、体温が上がったりしたら浮き上がるとか、そういうシステムなんじゃないかって・・・」 「辺見さんに確認できないのか。会えたんだろう」 「知ってるのか」 「今朝俺にも連絡があったよ」 確かに辺見なら、よく知っているだろう。が、ただでさえ彼の言い分には秘密が多い。聞いたところで本当のことを教えてくれるとは思えない。 そもそも史遠がオウジサマだとしたら、俺と暮らしていることをわかっていてもおかしくない。わかっていて泊まっていったなら、あいつは相当のタヌキじゃねえか。 ああ、考えれば考えるほどわけがわからない。 「辺見さんサイドとしては、あと一週間のうちに皇子を保護してほしいそうだ」 「一週間?!」 そんな急に。 「お前が言うように本当に神苑史遠が皇子だというのなら、すぐさま探し出せ。俺は川崎たちの行動を見張る。なんなら足止めしなきゃならないからな」 「信じてくれるのか」 「・・・非常に不本意だが、お前がここまで主張するのは珍しいからな。その勘は多分・・・当たりだ」 「沢渡・・・」 「とりあえず辺見さんに連絡を取れ。黙って帰ってくるのを待ってて、川崎たちに横取りされたりしたらかなわん」 俺はわかったと言って事務所を走り出て、向かいに停めておいた車に飛び乗った。キーを回し一度エンジンをかけたが、思いあぐねてエンジンを切った。 俺は沢渡に嘘をついた。 今朝早く、史遠が起き出したのを俺は気づいていた。服を着て、ボストンバッグを持ち、一度部屋を出ようとした史遠は逡巡し、ベッドサイドに戻って来た。 そして俺の耳元でこうささやいた。 (俺も・・・好きだよ、国丸) 俺は目を開けることが出来なかった。心臓が口から飛び出しそうだった。 知り合ってから俺たちは口喧嘩ばかりで、ゆっくり話したことなどほとんどない。この間飯を作ってくれた時、少し話せたくらいだ。弓道場で見た凛々しい姿、弱っていた俺のために飯を作ってくれたいじらしい姿、初めて身体を開く時の恥じらう姿・・・史遠の全てが愛おしい。 タトゥーは確かに見ていない。が、俺の中で、史遠がオウジサマである、という確信は時間が経つほどに強くなっていく。 あの赤い石のストラップ以外にはっきりとした理由はないのに、俺にはそうとしか思えなかった。 でも、なぜかわかる。 そして引っ掛かるのはやっぱり辺見だ。 どこまで知っているのだろう。本当に俺の同居人がオウジサマなのを知らなかったのか?留守中に訪ねてきたのは偶然か、故意か? 結局なにひとつはっきりしない。 問題は、俺が史遠をオウジサマだと確信しながら、引き留められなかったことだ。 それは、この期に及んでオウジサマだと認めたくないという女々しい心と、あわよくばこのまま史遠が逃げおおせれば、国に帰らなくても良くなるんじゃないか、という淡い期待があったからだ。 俺は卑怯だ。史遠を失いたくないばかりに、仕事を放棄した。 「くそ・・・っ」 俺はハンドルを叩いた。 好きだよ、と言った史遠は狸寝入りをしていた俺に、キスを残していった。柔らかな唇の感触が忘れられない。 携帯を取り出すと、俺は辺見の新しい番号に電話をかけた。
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