20 出会い

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20 出会い

初めて出会った時、史遠(しおん)は今よりも身体も細くて華奢な印象だった。背中まで伸ばした髪がさらさらと風に揺れていたのを覚えている。 「今日から二階に住む、上園(かみぞの)史遠です《しおん》です」 「あ、どーも、東雲(しののめ)っす」 前の晩、深夜まで浮気調査で張り込みの仕事をしていた俺は、起きたばかりの寝ぼけ眼で挨拶を交わした。俺の寝癖のついたダイナミックな髪型を見ても笑いもせず、史遠は高級チョコレートの箱を差し出した。 「甘いものお好きですか」 「何でも食います」 「良かった。これからよろしくお願いします」 思えば俺は、あのときから「なんて綺麗な顔なんだ」と思っていた。特別面食いでもないのに、醸し出す上品さと相まってそれはそれは美しく見えたのだ。 ついでに俺は、三年つき合っていた奴と別れた直後。正直、あわよくば、なんてことが頭を過ぎったりなんかして・・・ 俺はチョコレートを受け取り、小さなトランク片手に階段を上がって行く史遠に、気がつくと声をかけていた。 「あ、あのさ・・・酒、好き?」 「・・・え?」 「いいウイスキー貰ったんだけど・・・一緒にどうかな、これと」 俺はチョコレートの箱を軽く持ち上げた。確かその時、史遠は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みを作って、ぜひ、と答えたと思う。 「なんでこんな・・・って言ったら悪いけど、ボロ屋に、それも俺みたいなおっさんと同居とか・・・」 鶯谷駅の東口は、ラブホテルが軒を連ねている。昔ながらの商店もちらほらあるが、ピンクや赤の看板の存在感に追いやられていると言ってもいい。 俺は安さと古さが意外に気に入ってここに住みついているが、いかにもお育ちの良さそうに見える(実際とんでもない育ちだったわけだが)史遠には、ここはあまりにも不釣り合いに感じた。 「おっさん?」 「だって君、まだ二十代前半くらいでしょ」 「全然おっさんに見えませんよ」 「あ・・・はは、ありがとう」 「僕、共同生活に憧れていたんです」 そう、最初は「僕」だった(笑)。そしてもちろん敬語。 「共同生活?」 「楽しそうだなって思って」 「楽しいといいけどな、こんなおっさ・・・」 途中まで言い掛けて、ん、を言うのをやめた。気づいた史遠がくすくす笑う。 「まあその・・・俺はこんなんだけど、これから仲良くしてね」 「はい、よろしくお願いします」 「敬語じゃなくていいよ」 「それは・・・少しずつでもいいですか」 信じられるだろうか。これがいずれ「納豆臭いから冷蔵庫入れんな!」になるのだ。 そしてその晩俺たちは、チョコレートをつまみに貰い物の高級ウイスキーのボトルをあっという間に空けてしまった。 史遠との出会いを反芻しつつ俺は車であいつが向かいそうな場所を巡っていた。しかし弓道場はもちろん、いつも行くスーパーに銭湯、本屋からコンビニまで廻るも、史遠の姿はない。 「どこ行きやがった・・・っ、くそ・・・っ」 頭の中では、初めて会った日の光景が引き続き上映されている。 かなり酔いの回った俺はあの晩、言わなくていいことをべらべらと喋った気がする。 「シオンちゃんは、彼女いる?」 「今はひとりです」 「そうなんだぁ・・・モテるでしょ?」 「モテ・・・なくはないですね」 「だろうねえ、ピュアだもんな」 「ピュア・・・?」 「目を見たらわかるよ」 「・・・ありがとうございます。東雲さんは?」 「えーと、俺はねえ・・・」 そこまで思い出して俺はハッとした。 何かこの話題にヒントがある。何故かそう思った。俺なんて答えたんだっけ? 「俺も今はひとり。・・・で、バイなんだよね」 「え・・・」 「あ、ごめん、さらっと言って・・・気持ち悪い?」 「いいえ、全然」 「そう?」 「人が好きなんですね」 「・・・へ?」 「性別に関係なく、好きになれるってことでしょう」 「そ・・・そう、そうなんだよね・・・」 なんということだ。今日の今日まで忘れていた。俺は史遠にバイセクシャルだと告白しちゃっている。酔っていた上に史遠の反応が良すぎて、忘却の彼方にすっ飛ばしてしまっていた。 だからあいつは俺を受け入れてくれたのか・・・ そして記憶の再生は続く。調子に乗った俺は、その後もべらべらと喋り・・・ 「へえ、弓道やってんだ」 「はい。母方の祖父が名手だったんです」 「すごいなぁ・・・俺、無趣味でさ、仕事以外なにもねえなあ」 「この鶯屋っていうのは・・・何の会社なんですか?」 「いわゆる何でも屋かな。結婚式に友達の振りして出席してくれとか、大学の授業に代わりに出てくれとか、そんな感じ」 「・・・探偵さん?」 「そう言えば聞こえはいいけどね、そんな格好いいもんじゃないのよ~」 「そうなんですか」 「シオンちゃんは何をしてる人?」 「・・・僕は・・・」 ん? あれ、史遠、なんて言ったんだっけ? 確か・・・確か・・・・・・あ! うわああああああっ、俺、何でこれ忘れてた?!これを覚えていたら、もっと早くオウジサマだと気づけたのに!俺のあんぽんたん!! そう、あの時史遠は言ったのだ。 僕の仕事は、通訳です、と。
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