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22 アルフォンス・ジェレマイア・リンドール
「東雲さま、皇子は・・・国に帰ると言っています」
「・・・え?」
どういうことだ?
「次回の仕事を頼もうとした今日のパーティーの主催者に、そう告げたらしいです。帰るので、申し訳ないが受けられないと・・・・・・」
「皇子・・・史遠はどこにいる?」
「私が駆けつけたときにはもう、いらっしゃらなくて」
「・・・・・・」
「東雲さま・・・皇子との間になにがあったんです?」
「・・・なにがって・・・」
本当のことを言えるはずがなかった。俺が黙っていると、辺見は大きなため息をついた。
「よろしいのですか。これで」
「・・・これで?」
「東雲さまは、皇子が帰国しても、よろしいのですか、ということです」
「辺見さん・・・」
「皇子の考えていることを私が代弁することは本意ではありませんが・・・もう、いい加減に気づいていらっしゃるでしょう」
「・・・・・・」
「止められるのは、あなただけです」
辺見は正面から俺を見つめた。
「私は一生、皇子をお守りすると決めた人間です。ですが皇子が皇族を離脱されたら、私ではそれが叶わないのです」
俺は辺見が何を言いたいのかを何となく感じ取った。
「・・・俺を信用してくれるってことか」
「皇子が信用している方は、私も信用する。それだけです」
「俺は・・・俺のしたいようにしていいってこと?」
「皇子を傷つけないのであれば」
その時俺はなぜか急に、史遠がどこで何をしているのかがピンと来た。
「辺見さん、俺に任せてくれるかい」
「・・・皇子がどこにいるのか、心当たりが?」
「ある。多分、いや、間違いない」
「わかりました。・・・皇子をよろしくお願いします」
「了解」
俺はよれたジャケットを羽織り直しながら、早足で屋上を出た。
車を停めて、急ぎ足で入口に駆け込む。やはり思った通り、史遠の靴が揃えて並んでいる。
俺は自分の靴を投げるように脱いで中に入った。
普段そこは、静かにしなくてはならない。だがお構いなしに俺は駆け足で廊下をつっきった。
「史遠!」
襖を開けつつ名前を呼んだ。
想像通り、その空間には史遠ひとりだけがいた。史遠の通う弓道場。
白い着物と紺色の袴を身につけた史遠は、俺が来ることを解っていたようにゆっくりと振り返った。そして、「静かに」と小さな声で俺を制した。
そう言われて、俺の足は床に吸いついて動かなくなった。史遠は俺が黙ると、おもむろに片肌を脱いで携えていた弓を構えた。
静謐な空間で史遠はきりりと弓を引く。俺は無意識に息を止めた。
すぱん!と小気味いい音がして、矢は的のほとんど真ん中に命中した。
相変わらず見事な腕前。
「・・・この場所、知ってたの」
前を見たまま、史遠は言った。
「・・・このあたりで弓道場って、ここしかないだろ」
「・・・・・・」
「話がしたい」
史遠は弓を降ろし、俺に向き直った。裸の胸に白鳥のタトゥーはない。
「話・・・?」
「俺は・・・仕事の依頼を受けてリンドールって国の第三皇子を探してた」
「・・・・・・」
「単刀直入に聞く。お前は・・・アルフォンス・ジェレマイア・リンドール皇子なのか」
沈黙が十五分にも二十分にも感じた。史遠の目は黒いのに、不思議とその奥に深い藍色が見えて、俺は吸い込まれそうになっていた。
史遠は袴をさばいて、その場に正座した。そして俺を見上げて、こう答えた。
「・・・・そうだよ。僕は、リンドールの第三皇子だ」
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