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本棚に追加4 納豆ふたたび
「ただいまあ」
何度も言うが、挨拶は基本だ。家に誰もいなくても、行ってきますとただいまは声に出して言え、というのが俺の母親の口癖だった。
いつもは史遠が律儀に、おかえりー、と二階から叫んでくれるが、今日は留守なのか聞こえてこない。代わりに一階の奥の風呂場から水の音が聞こえてくるので、多分シャワーを浴びているのだろう。
本当なら俺も帰ってすぐシャワーを浴びたいところなのだが、そのまま部屋に入り、デスクの前に座った。沢渡から借りてきた資料にひととおり目を通しながらコンビニで買ってきたビールを飲むことにした。
リンドールの第三皇子。母が日本人なばかりに浮かばれない境遇の青年。結婚目前に姿をくらますのは、やはり国に戻ると自由がなくなるからなのか。
「いや・・・そうとは限んねえか?単に遊び足りないとか、そういう可能性もあるよな。日本が居心地よすぎちゃったとかさ。メシもうまいし、治安もいいし」
俺は頭の中を整理するために独り言をつぶやいた。二十代前半、便利で安全な国に留学して、味をしめないはずがない。俺が皇子なら、肩身の狭い自国で奥さんをもらうより、気軽に遊べる外国がいいに決まってる。
「オウジサマって大変よね・・・」
何故か口調が勝手にオネエ口調になる。しっかり情報を頭にたたき込まなければいけないのだが、とりあえずもう一本ビールを飲みたくなって冷蔵庫を開けた。
「・・・あら?」
今朝の史遠との納豆バトルは記憶に新しい。
なのに、なくなったはずのものが、ある。
それもあいつが捨てた俺の高級納豆よりも、もっとずっとランクが上の、いわゆる新宿のデパートとか紀ノ○屋とかでしか売っていない超高級納豆が。
どゆこと?
食べたすぎる俺の頭が作り出した幻?
「あ、帰ってたの」
冷蔵庫に頭を突っ込んでいる俺の背後から史遠が声を掛けてきた。
「史遠!冷蔵庫にすげえ高い納豆が入ってる!」
俺は両手で納豆を持ち上げて振り返り、叫んだ。
部屋着にしている渋い青の浴衣姿の史遠は、納豆と俺を交互に見ると興味無さげに吐き捨てた。
「・・・それで?」
「それでってお前、今朝・・・」
「・・・・・・」
「買ってきてくれたのか?」
「・・・まあ、そう、だけど」
「史遠!」
俺は大事な納豆を放り出し思わず史遠に飛びついた。
しかし飛びついた、と思ったのは俺だけで、史遠は直前で俺の顔を片手で押さえた。さすが弓道師範並の腕力。俺の鼻がぐにゃりと右に四十五度曲がった。
「いだだだだっ、はなっ、鼻曲がるっ」
「汗臭いから寄るな!」
「・・・本当にお前、ニオイに敏感よね・・・」
「仕方ないだろ、性分なんだから」
「・・・それで、納豆は・・・」
「たまたま新宿に寄っただけ。早く風呂入れよ」
史遠はふい、と踵を返した。
実はこいつは、かなりの「いい奴」であり、かなりの「ツンデレ」なのだ。
口は悪いし、素直じゃないし、そのくせ今朝みたいなことがあると実は気にして、さらりと穴埋めをしたりする。
俺はそういうとき、犬にするように頭をヨシヨシと撫でてやりたくなる。史遠の髪はさらさらで、触れると気持ちがいい。大型犬を可愛がっている気分になれるのだ。
が、気分によってはそのヨシヨシを拒まれる時もある。
それがまさに今。
俺は放り出してしまった納豆を拾い上げつつ言った。
「おい、ちゃんと礼ぐらい言わせろ」
「・・・・・・」
「ありがとう。ちゃんとジップロックに入れるから」
「・・・うん」
史遠はちらりと目だけで俺を見た。
耳が赤い。
俺は反射的に口に出していた。
「お前、可愛いよな」
「はっ?!」
今度はぐりん、と史遠は振り返った。照れているんだとばかり思っていた顔が、鬼の形相に変化していてびっくりたまげた。
「うるさい!さっさと風呂入れ!」
「なんでそんなに怒るの?」
「国丸、酒飲んでるだろ!飲んでる時の国丸嫌いなんだよ!」
「えぇえ・・・ひどい」
「もう寝るから!」
史遠は俺が「可愛い」と言うと烈火のように怒る。
二十代前半の男が可愛いと言われるのは確かに嬉しくないのかもしれないが、そこまで怒らなくても、というレベル。しかも俺の記憶では、怒るようになったのはここ一ヶ月くらいのことで、何が原因か見当がつかないのだ。
統計によると「酒を飲んでいる俺」+「可愛い」で怒ることが多いので、たぶん何かやらかしたのであろう、俺が。
覚えてないけど。
史遠はどすどすと二階に上がって行った。
確かに俺は酒を飲むと、記憶をなくしてしまうことが多い。だから深酒するのは出来るだけ避けている。
いったい俺は何をやらかしたのかしら。

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