13.決着

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13.決着

「お優しいこと」 ジークフリートは声のする方に振り返った。 月は雲で半分ほど隠れていた。雷も風もやみ、あたりは静かだった。 湖の上空、オディリアは宙に浮いていた。まるでカウチにでも横になるような体勢で、微笑みをたたえて見下ろしている。 ありえない光景にジークフリートは目を見開いた。 「愛するわらわを追ってきたのかえ?」 「お前を追ってきたのではない!マクシミリアンはどこだ!」 「つれないことを・・・確かに誓いを立てたではないか」 くくく、と笑うオディリアの背には、黒い大きな羽根があった。毒々しいほど真っ赤な唇、残忍に吊り上がった瞳。足が震え出すほどオディリアの姿は禍々しい。纏う空気まで暗く淀んでいて、見ているだけで背筋が凍る。 「そなたはわらわの夫・・・これで晴れて、そなたもこやつらと同じだ」 ふっとオディリアは右手を挙げた。すると彼女の周りに、傷ついた何人もの若者たちが現れた。 「!」 彼らはやはり宙に浮いている。しかしそこには地面があるように、若者たちは気を失って倒れているように見えた。皆一様に怪我をして、身体中から血を流している。しかしそこにマクシミリアンの姿はなかった。 「彼らになにをしたっ?!」 「自由にさせておいたら余計な知恵をつけた・・・こらしめてやっただけ」 「マクシミリアンは・・・っ、彼はどこだ!」 くくく、ともう一度笑うと、オディリアはパチンと指を鳴らした。 すると、周りに倒れていた若者たちの姿が消え、代わりにマクシミリアンが現れた。 彼は気を失っていなかった。やはり怪我を負っていて、特に右腕に大きな傷があった。それが、先ほど鴉たちに襲われた傷であることは明白だった。 「マクシミリアン!」 ジークフリートは駆け寄ろうとした、が、なぜか足が動かない。見えない何かが足首を掴んで離さない。 「ジークフリート・・・っ・・・」 マクシミリアンはかすれた声で力なくつぶやいた。ジークフリートは自責の念に押し潰されそうになりながら懸命に身体を動かした。 オディリアは楽しげに弱り切ったマクシミリアンの顔を上向かせた。 「お前が悪いのだ、マクシミリアン・・・人間などに懸想してもどうにもならないというのに」 「離せ・・・っ・・・」 「お前も見たであろう?人間など所詮、自分のことしか考えておらぬ生き物・・・救いたいなど口先だけよ」 返す言葉がなかった。どうしてあれがマクシミリアンの仮の姿だなどと思ったのか。 見間違えるはずのない愛しいひと。今、オディリアの瞳は漆黒だった。 (そうだ、真似られるはずもないのに、どうして・・・っ・・・) 今、傷ついたマクシミリアンは、恐ろしいほど澄んだ瞳でジークフリートを見ていた。 ジークフリートは叫んだ。 「マクシミリアン、許してください、あさはかな私を・・・っ・・・」 マクシミリアンは何も答えず、ジークフリートを見下ろしていた。傷が深いのか、血の流れる腕を苦しそうに押さえて、浅い息をしている。 「謝っても遅い・・・そなたはわらわと契約を交わしたのだ。マクシミリアンは未来永劫このままよ」 「そんな・・・っ・・・」 「瀕死の傷を負おうと、手足がもぎ取られようとも、マクシミリアンは死なぬ・・・わらわが生きている限り、自ら命を絶つことも出来ないのだ」 「く・・・っ・・・」 ジークフリートはオディリアの呪縛で動かせない両腕両足に力を込めた。そして叫んだ。 「どうしてマクシミリアンを苦しめる?!彼がお前に何をしたっていうんだ!」 ふふ、とオディリアは笑った。そして蒼白のマクシミリアンの顔を長い爪でなぞりあげた。 「何故・・・?ふふ、ごらん、美しいであろう。お前だってこの美しい顔に惹かれたのではないのか?しかし美しいのは器だけ・・・中身は恨みと怒りでどす黒いとも知らずにな」 マクシミリアンは苦しげに顔を歪め、ジークフリートから視線を外した。 「よく聞け人間よ・・・わらわは恨みや怒りで死んでも死にきれない者たちと、無念を晴らす代わりにわらわのものになるという契約を交わしたのだ。それの何が悪い?互いの願いを叶えただけではないか」 「それはずっと昔のことだろう!もう彼を解放しろ!お前の願いはとっくに叶えられているじゃないか!」 オディリアは右手を延ばし、人差し指の爪をジークフリートの顔に向けた。 するとジークフリートの頬に鋭い痛みが走り、鮮血が飛び散った。 「ジークフリート!」 マクシミリアンが叫んだ。ジークフリートの左頬は鋭い刃で切りつけられたような傷がついている。 「人間などにごたごた言われる筋合いはない。わらわをマクシミリアンの仮の姿だと信じるような、浅はかな貴様などにはな」 オディリアはもう笑っていなかった。ジークフリートはその冷酷な表情に、ふとひとつの思いが過ぎった。 もしかするとオディリアは、遙か昔に人間に裏切られたのではないのか。マクシミリアンを利用して、自分を裏切った人間の代わりに次々と彼に惹かれる者達を失望の底に突き落としているのではないだろうか。 ジークフリートは言った。 「・・・晴らせない恨みがあるのはお前じゃないのか?」 オディリアの片眉がぴくりと跳ね上がった。 「自らの晴らせない恨みを、同じく苦しむ者に投影しているだけじゃないのか!自分の痛みを肩代わりさせているだけだろう!」 「・・・・・・黙れ」 「こんなことを続けていたってお前の恨みが晴れる事はない!マクシミリアンを解放しろ!」 「黙れぇぇっ!!」 急激に湖の水が巻き上げられ、かつてマクシミリアンが起こしたより荒く強い、巨大な竜巻がジークフリートを襲った。しかしなぜか巻き込まれることはなく、見えない何かに守られているようにジークフリートは立っていることが出来た。彼の周りには水の幕が出来ていた。 (どうして・・・何かに守られている?!) オディリアは不思議と傷つかないジークフリートに歯ぎしりした。竜巻はどんどんと勢いを増し、辺りの木々をなぎ倒してゆく。マクシミリアンはオディリアの(かたわら)で、今にも気を失いそうな青い顔をしている。 何がどうなっているのか解らないまま、ジークフリートは湖に向かって、水に守られながら重い足を引きずって一歩進んだ。 「マクシミリアン!」 ジークフリートは轟音の中、必死に叫んだ。 「あなたが言った・・・呪いを解く方法があると!私なら出来ると!」 オディリアは忌々しげにマクシミリアンを一瞥した。そしてその額に長く鋭利な爪の先で傷をつけ、流れ出した血を毒々しい朱い舌でぬるりと舐めた。 怒りに震えるオディリアの形相は既にこの世のものではなくなっていた。 「余計なことを!しかし知ったところで何も出来まい?」 ジークフリートは一歩、また一歩と湖に向かって歩いた。竜巻が行く手を阻み、巻き上がる水と風がごうごう鳴っている。それでもジークフリートは湖に向かって歩みを進めた。 助ける方法なんてわからない。 オディリアがその気になれば、きっと今すぐにでも握りつぶされてしまうだろう。しかしそれなら、こうやって身体を動かすことも、竜巻から守られることもないはずだ。 「命を懸けるほどの真実の愛」が呪いを解く。 これは神が、いまこそその力を見せつけろ、と言っているのだとジークフリートは信じた。 重かった身体は、不思議にも次第に自由に動くようになっていった。 「ジークフリート!」 マクシミリアンの声が響いた。見上げると、オディリアに首筋を締め上げられていた。オディリアは美しい女性の姿から、全身を黒い毛に覆われた大きな(ふくろう)に変わりつつあった。白い腕は毛に覆われ、瞳はぎょろりと飛び出している。妖艶な美女の影もない。 「マクシミリアン!」 「もういい・・・死んでしまう!」 「嫌だ!諦めないで!」 「十分だ!想いは・・・受け止めた・・・っ」 オディリアはマクシミリアンの首をさらに締め上げる。爪が食い込み、血がとめどなく流れ出す。ジークフリートは声の限りに叫んだ。 「逝くのなら私も一緒に!あなただけを愛しているんだ!」 ジークフリートはマクシミリアンに向かって手を伸ばした。はるか上空、竜巻の上に浮かぶマクシミリアンとオディリア。オディリアは身の毛もよだつ禍々しい声でジークフリートを威嚇する。しかし怯むことなく、ジークフリートは再び叫んだ。 「マクシミリアン、あなたを愛してる!私を一人にしないでください!」 「ジークフリート・・・っ・・・」 その声を聞いたオディリア「だった」ものは、巨大な梟の化け物に完全に変化(へんげ)し、背筋が凍るような鳴き声をとどろかせた。 マクシミリアンは急に解放され、ぐらりと身体が傾いた。そして、オディリアの力で宙に浮いていたその身体は、真っ逆さまに湖の中心に向かって落下し始めた。 「マクシミリアン!」
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