10.婚礼

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10.婚礼

「○○王国皇女、イルゼ姫、△△国第一皇女、ウィルマ姫、□□公国、アデリンダ姫・・・」 ヴォルフガングがひとりひとり名前を読み上げる。姫たちはそれぞれ女王の前に進み出ると、うやうやしくドレスの裾を持ち上げ最上の礼をした。近隣の中でも特に大きなこの国の王妃の座を射止めるということは、母国の安全も約束される。まだ十五、六の若い娘でありながら、国を背負った彼女たちは真剣だった。女王はそんな姫たちに、満足気に言葉をかけていた。 ざわめく城内は、いつもの数倍も賑やかで華やかだった。 ヴォルフガングとウルリックは、それぞれジークフリートに頼まれた言葉を反芻していた。 姫君たちがずらりと居並ぶ中、出入りするのは彼女たちの従者や貴族、城で働く召使いたちばかり。目を凝らしてみても、見覚えのない人間が入ってくる様子はなかった。 宮廷楽士たちの演奏に合わせて貴族たちはワルツを踊り、姫君たちは皇子の登場を今か今かと待っている。女王もなかなか現れない息子にしびれを切らしていた。 ジークフリートはこの勝負の夜に、胸に黒鳥の羽を忍ばせて、大広間に向かっていた。 回廊の窓から夜空を見上げ、白鳥の群がいないか、その中に美しい黒鳥がいないかを探す。 (きっと来てくれる) ジークフリートはそう自分に言い聞かせて広間の扉の前に立った。 召使いがうやうやしく扉を開くと、賑やかな声が溢れ出してくる。ひとり、またひとりと皇子の登場に気が付き、波紋のようにざわめきが広がってゆく。 「ジークフリート様」 ヴォルフガングがほっとした表情で近づいてくる。ジークフリートは目で問いかけたが、誰にも気づかれぬほどヴォルフガングは小さく首を横に振った。 宴はまだ始まったばかり。ジークフリートは母である女王の元へとまっすぐ進んだ。 「母上、お待たせして申し訳ありません」 ジークフリートは母の手を取り、ひざまづいてキスをした。いつもは気難しい女王も、今日は満面の笑みで息子を称えた。 「ジークフリート、今日は一段と凛々しいこと・・・ご覧なさい、姫君たちもあなたの姿に見惚れていますよ」 その言葉通り、ジークフリートは振り返らずとも、姫君たちの視線を痛いほど背中に感じていた。 「さあ、踊って差し上げなさい。どの姫も申し分なく美しく聡明です」 「・・・かしこまりました」 婚礼を遅らせる理由は、いずれは国を治めなければいけない重責を感じている、覚悟を決める時間が欲しい、とした。母は大事な一人息子の心に寄り添い、数日遅らせることを承諾した。 母の嬉しそうな笑顔に、ジークフリートは心が痛んだ。にこやかに姫君たちの相手をするのは、せめてもの皇太子としての努めと、彼女たちに近づいた。 ひとりづつの手に丁寧にキスをし、ダンスを申し込む。恥ずかしそうに、もしくは待ってましたと、姫君たちはジークフリートと踊った。華々しい色の絹のドレス、宝石が散りばめられたティアラ、高く結い上げた髪、白粉をはたいた小さな手の爪は、赤く塗られている。 どの姫君も期待に満ち満ちた視線をジークフリートに送ってくる。愛想笑いを返すことに罪悪感を感じても、そうせざるを得なかった。 六人の花嫁候補の姫君と踊り終わったジークフリートは、つとウルリックの姿を探した。 ジークフリートと目が合ったウルリックは、少し困り顔で首を横に振った。 マクシミリアンの姿はない。やはり、と言う気持ちと、諦めたくない、という気持ちが彼の中でせめぎ合っていた。 「ジークフリート様!」 楽士たちが次の曲を奏で始めた。そのタイミングでヴォルフガングが血相を変えて走り寄ってきた。 「・・・どうした」 「城の前に、立派な馬車が・・・もしや、お待ちになっているお方ではありませんか」 「なんだって?!」 ジークフリートは大広間の入口を振り返った。踊る人々の向こう、両開きの大きな扉が、厳かに開くところだった。 扉の向こうには、豪華なレースと刺繍がふんだんに施された黒いドレスに身を包んだ姫が立っていた。側には従者と見える男がひとりだけ。 姫君たちがこぞって装う流行の、胸の大きく開いたドレスではない。首まで覆うレース、胸の上から優雅に広がるドレープは何重にも重なって、動く度に美しく揺れる。ティアラの代わりに艶のある黒髪を背中に広げ、大粒のサファイアの額飾りをし、孔雀の羽の扇子で顔を隠している。 「・・・女性・・・?」 ジークフリートはつぶやいた。 姫の側で彼女の手を取る従者にも見覚えがあった。それはジークフリートに剣を突きつけた、マクシミリアンの一番の側近だった。 姫はゆっくりと広間の真ん中を歩いて、ジークフリート、いや、女王の玉座に向かって歩いてゆく。踊っていた貴族たちは一様に足を止め、その姫をじっと見つめた。顔が見えないにも関わらず、その佇まいから彼女の美しさは透けて見えるようだった。 ヴォルフガングは玉座の前に立ち、姫にうやうやしく頭を下げると、丁寧に尋ねた。 「ようこそおいでくださいました、姫君。不躾ながらお伺いいたします」 その姫は、背が高かった。 花嫁候補の姫君たちとは頭一つ以上違う。ヴォルフガングの挨拶に、姫は静かに扇子を降ろした。 その瞬間、広間は大きなどよめきで埋まった。 紅を差しただけのその顔は、あまりにも妖艶で美しかった。深いサファイアブルーの瞳には冷たさまでも感じられる。ヴォルフガングはそのまばゆさに言葉を失った。姫は黙っている。 すると従者の男が一歩進み出て、こう告げた。 「姫君は訳あって口がきけませぬ。ですが今宵のめでたき宴にお招きいただき、北の果てより参りました」 「それは遠くから・・・心より感謝いたします。どうぞこちらへ」 ヴォルフガングは女王の玉座まで姫をエスコートした。広間の貴族たちは姫に対して女王がどんな言葉をかけるのか、固唾を飲んで様子を伺っていた。 いぶかしげな表情をしている女王の前に、姫はひざまづき最上の礼をした。彼女が言葉の代わりに艶やかに微笑むと、女王は戸惑いながらも微笑み返した。 ジークフリートは自分の心臓の音に殺されそうだった。 マクシミリアンだ。 どうして女性のなりをしているのかはわからない。しかし間違いない。あの瞳の色はふたりといない。ジークフリートの后選びに見合うよう、この姿で現れたのに違いない。 ジークフリートは青い瞳の姫に近づいた。 花嫁候補の姫君たちがどよめく。突然現れた遠い国の姫は、流行遅れのドレスを纏っているにもかかわらず、彼女たちよりもずっと美しかった。 「・・・踊っていただけますか」 ジークフリートは震える声で姫にダンスを申し込んだ。
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