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12.裏切り
「姫・・・っ・・・?」
ジークフリートは手を弾かれて、その衝撃に目を見開いた。
それまで幸せそうに寄り添っていた姫の顔からは微笑みが消え、恐ろしいほど鋭い視線をジークフリートに浴びせていた。周りは雷鳴の音や、人々の慌てふためく喧噪で、ふたりの間に起きていることに気づいていない。
「人間とは愚かよの」
急に聞き覚えのない、それも禍々しい女性の声がジークフリートの耳に響いた。
「姫・・・声が・・・?」
姫は口元を手で覆うと、さもおかしそうに笑った。
「たかだかこの程度の見た目で惑わされるほど、心を奪われているのか?」
「あなたはっ・・・どうしてこんなことを・・・」
「わらわがマクシミリアンだと信じていたのではないのか?」
「!!」
驚愕するジークフリートの目の前で、姫の青い瞳は見る見るうちに黒く染まっていった。長く美しい髪はまるで神話の魔女メドゥーサのようにうねり、ざわざわと不気味に蠢いている。いつしか城の窓の外には、数え切れないほどの鴉が飛び交っていた。
誰かが姫の異変に気づき、きゃああ、と甲高い悲鳴をあげた。
姫はあの、妖艶な微笑みをたたえてこう言い放った。
「わらわの名はオディリア」
「オ・・・オディリア・・・?!」
マクシミリアンの言葉が蘇る。
彼とたくさんの青年たちを半獣の姿に変えた妖。今はかろうじて人間の姿をしているが、滲み出る恐ろしさは身の毛がよだつほどだ。変化したオディリアの様子に、いつしか兵士たちが彼女を取り囲み、剣の先を向けていた。
しかしオディリアは怯むことなく、悠々と左手でびりびりと揺れる窓のひとつを差し示した。
「マクシミリアンなら、あそこだ」
「・・・・・・えっ・・・」
その窓からは、鴉の群が一羽の大きな黒鳥を追い落とそうと襲いかかっているところだった。ジークフリートは窓に駆け寄り、両開きのガラスを押し開けた。鴉の凶暴な鳴き声と夜空に舞う黒い羽根。大きな黒鳥は必死に鴉たちに対抗しようとするが、執拗に責められて今にも力尽きてしまいそうだった。
「マクシミリアン!」
ジークフリートは夜空に向かって叫んだ。
傷ついた黒鳥の瞳は、深いサファイアブルーだった。
「ジークフリート様!お待ちを!」
「ついてくるな、ウルリック!」
「そうはまいりません!どこへ行くつもりです?」
「放っておいてくれ!私は・・・私はなんてことを!」
ウルリックは無理矢理ジークフリートの腕を掴んだ。そして失礼、と言って壁にジークフリートを押しつけた。
「落ち着いてください!追ってどうするつもりです?!」
「ウルリック・・・・・・っ・・・」
オディリアが正体を現したその後、まるで地震のように城内が揺れた。人々が右往左往している混乱に乗じてオディリアはいつのまにか姿を消した。女王はショックで気を失い、床に伏した。花嫁候補たちは三々五々国へと戻り、残った召使いたちはあまりの出来事に呆然としていた。
「オディリアにはめられたんだ!僕もマクシミリアンも見張られていた・・・謀られたんだ!」
「何をおっしゃっているんです?!オディリアというのは一体・・・」
「お前も見ただろう、あの禍々しい女の顔を!早くマクシミリアンに逢わなければ・・・っ」
「逢ってどうなさるのです?!」
「どう・・・って、それはっ・・・」
「酷なことを申し上げますが、あなたはあの姫に結婚の誓いを立ててしまったのですよ!」
「・・・っ・・・」
「一度立てた誓いを破るには、双方の同意がなけれは成立しません・・・」
「わかっている・・・っ・・・」
「ジークフリート様、あなたは本当に、あの青年を・・・?」
「ウルリック・・・後生だ、見逃してくれ。僕はもう・・・ここには戻らない」
ジークフリートはウルリックの腕を振り払った。そして体当たりでウルリックを弾き飛ばすと、そのまま城を走り出た。
マクシミリアンはあの時、黒鳥の姿だった。たくさんの鴉はオディリアの手下か。そもそもオディリアは何者なのか。人間ではないと聞いていたが、気づけば忽然と姿を消していた。
マクシミリアンは無事だろうか。ジークフリートはもつれる足で愛馬エルヴィンに跨がり、湖に向かって走らせた。
枝や葉にぶつかりながら止まらずに湖のほとりまでやってきたジークフリートは、エルヴィンから降りると彼の顔を撫でてこう言った。
「いい子だ・・・ここまで連れてきてくれてありがとう。・・・お前は城へお帰り」
ブルル、と鼻をならしたエルヴィンは、主の顔をじっと見つめたまま動かない。
「ウルリックがよくしてくれる。お前はここにいちゃいけないよ。さあ、行くんだ」
エルヴィンはまるで言葉がわかるように、その場を動こうとしなかった。ジークフリートに鞭で促され、仕方なく向きを変えた。
「行きなさい。・・・母上に・・・よろしくな」
ジークフリートはひゅっ、と音を立てて鞭を振り下ろした。エルヴィンはヒン、と一声鳴くと元来た道を走りだした。
馬の蹄の音が聞こえなくなり、ほっとしたジークフリートの耳に、聞き覚えのある、あの禍々しい声が聞こえた。
「お優しいこと」
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