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14.愛の奇跡
「マクシミリアン!」
呪縛が完全に解けたジークフリートはためらいもせず湖に飛び込んだ。
その直後、夜空が閃光が走ったかと思うと、いかづちがオディリアに直撃した。梟の化け物は声をあげることも出来ずに真っ黒く灼け焦げて、マクシミリアンを負うように湖に落下した。
水を吸った服の重さに苦しみながら、しかしジークフリートは身体の中からこみ上げる力に守られて、沈みかけているマクシミリアンの身体に追いついた。水の中で血はさらに流れ出し、彼は瀕死の状態だった。
やっとの思いで岸に手がかかり、傷を負ったマクシミリアンを横たわらせると、ジークフリートは自分もその脇に倒れ込んだ。
このまま死んでしまうのか、とジークフリートは最後の力を振り絞って、横たわるマクシミリアンの身体ににじり寄った。
蒼白の頬、閉じた瞼、半開きの唇はかすかな呼吸を繰り返している。
「マクシミリアン・・・・・・」
強く手を握ったが、返ってくる力は弱かった。
「ジーク・・・フリート・・・・・・」
弱々しく名を呼んだマクシミリアンは、うっすらと瞼を開いた。そしてジークフリートの指を掴み、生きていることを懸命に伝えた。
「傷が・・・今、手当を・・・」
「もう・・・いい・・・」
「マクシミリアン!」
「起こして・・・くれ・・・」
ジークフリートはマクシミリアンの身体を抱き起こした。目を開けることしか出来ない彼は、ジークフリートの腕の中で、そっと微笑んだ。
「・・・すまない・・・我のために・・・」
「あなたを失いたくないっ・・・」
「オディリアの命尽きた今・・・我もまもなく死ぬ・・・」
「そんな・・・っ・・・」
「そなたに会えたこと・・・幸せに・・・思・・・」
「マクシミリアン、どうかもう話さないで・・・」
「我も愛している・・・ジーク・・・フリート・・・」
「マクシミリアン!」
ぐっ、と苦しげにむせこんだマクシミリアンは、どす黒い血の塊を吐き出した。そこには、鋭利な梟の爪がひとかけら、混じっていた。
血の中からそれを手に取り、ジークフリートは叫んだ。
「これだ!これがあなたを蝕んでいたんだ!助かる!きっと助かる!」
ふっとマクシミリアンは微笑んだ。
すると彼の身体から力が抜け、ジークフリートが感じていた人間の温かみが徐々に失われていく。
「い・・・嫌だ、逝かないでっ・・・マクシミリアン!」
ジークフリートの視界が涙でぼやけた。生涯で最初で最後の恋。すべてを捨ててでも愛すると決めた愛しい人が今、理不尽な運命に抗えず息を引き取ろうとしていた。
ジークフリートは天に向かって、ありったけの声をふりしぼって訴えた。
「神様!どうかマクシミリアンを助けてください!代わりに私の命を差し上げる!だからどうか・・・っ」
雷がやみ、灰色の雲が立ちこめている夜空。木々の梢が風に揺れるだけで、ほかには何も聞こえない。ジークフリートの悲痛な叫びだけが森に木霊するだけだった。
天を仰いだまま、ジークフリートは涙を流した。愛する人の命の火が消え、自分だけが取り残されてしまう。
その時。
「・・・・・・あ・・・っ・・・」
ジークフリートの目の前に、ひとひらの雪がふわりと舞い降りたのだ。思わず手を差し出したジークフリートは、驚きに目を見開いた。
雪だと思ったのは、純白の羽根だった。
手に触れた羽根は柔らかく、ジークフリートは再び空を見上げると、美しい白鳥の大群が夜空を埋め尽くしていた。
「白鳥たちが・・・・・!」
彼らは紛れもなくマクシミリアンの従者たちであった。純白の羽根を羽ばたかせ、たくさんの羽毛をジークフリートの頭上に降らせている。
まるでそれは、マクシミリアンを弔うかのように降り注いだ。
「マクシミリアン、見てください、彼らが・・・っ」
思わずジークフリートはマクシミリアンを抱き起こそうと腕に力を入れた。
マクシミリアンはまだうっすらと瞼を開けていた。降り注ぐ白い羽根が身体の上に積もってゆく。血で汚れた黒い衣装を羽根が覆い、まるで白い服を着ているようだった。
かろうじて持ち上げたマクシミリアンの手に、一枚の羽根がふわりと落ちた。見上げると、群の中でもひときわ美しい、大きな体躯の白鳥が頭上を旋回していた。
ジークフリートは、それが彼を守っていた側近の青年だと気づいた。マクシミリアンも、羽ばたく白鳥を虚ろな瞳で見上げている。
その時だった。
マクシミリアンの手の上の羽根が、まばゆい光を放った。
「うわ・・・っ」
ジークフリートはあまりの眩しさに腕で目を覆った。かつてマクシミリアンが黒鳥から人間に戻るときに放った光のようだった。
「え・・・?」
ジークフリートが光の中で見たのは、白い光が傷ついたマクシミリアンを癒し、彼が本当の姿へと戻ってゆくさまだった。
「マクシミリアン・・・!」
それはこの世のものとは思えない不思議な光景だった。
血で汚れた黒い服は、まばゆいばかりの白に。艶のある漆黒の髪は、白金に。あの深い深いサファイアブルーの双眸だけが以前のままだった。
マクシミリアンは、かすれた声で呟いた。
「これ・・・は・・・?」
「呪いが解けたんです!彼らの羽根が・・・」
ふたりは同時に天を見上げた。そこには白鳥たちの姿はすでになく、代わりに東の空が明るくなりはじめているのがわかった。
「夜が明ける・・・」
「マ・・・マクシミリアン!見てください!」
ジークフリートは辺りを見回し、あることに気がついた。
マクシミリアンが建てた古城が消えていたのだ。朽ちかけた城があったはずの場所は、背の高い野草が生い茂っており、建物の跡すら見当たらない。
呆然と見上げながら、マクシミリアンはこう呟いた。
「そなたが・・・我らの呪いを解いてくれたのだな・・・」
「いいえ!あなたが私の想いを受け入れてくれたからです!」
「そなたの人生を我は奪ったのだぞ」
「私の人生は奪われてなどいません・・・私が自ら選んだ道です」
ジークフリートはマクシミリアンの身体を抱き起こし、そのサファイアブルーを見つめた。彼の顔を縁取っていた黒髪は今や、朝日を浴びて宝石のように輝いている。
この地獄が未来永劫続くと諦めていたマクシミリアンが纏っていた悲しげで、ともすると冷酷な空気は既にない。命をかけて自分を愛してくれたジークフリートを、優しい瞳で見上げている。
マクシミリアンの傍に落ちたひとひらの羽根を手に取り、ジークフリートは言った。
「彼らは・・・従者たちはどうしたでしょう」
「我が戻ったのだから、彼らも人間の姿に戻っているはずだ。すべては我にかけられた呪いのため・・・」
マクシミリアンは苦しげに息を吐いた。
「もうあなたは責任を感じる必要はありません。きっと皆わかっているでしょう・・・喜んでくれているはずです」
マクシミリアンを主と慕っていた若者たち。今頃それぞれ本当の姿に戻っても、マクシミリアンを気に留めているはずだ。
東の空が本格的に明るくなってゆく。小鳥が二羽、連れ添ってふたりの頭上を飛んでゆく。
「夢の・・・ようだ・・・呪縛から解き放たれる時がくるなど・・・」
マクシミリアンはジークフリートの頬に触れた。その指先はやはり冷たく、呪いが解けたにも関わらず、彼の命は尽きようとしていた。ジークフリートは涙が止まらなかった。
「ジークフリート・・・口づけを・・・」
請われるまま、ジークフリートはマクシミリアンに口づけた。本当なら出会うはずのなかった二人は、互いの身体に腕を回し、瞼を閉じた。
朝の光が木々の間からマクシミリアンの白い額に降り注いだ。
ジークフリートは一度唇を離し、かすれた声でこう言った。
「私を・・・連れて行ってください」
マクシミリアンは最後の力を振り絞って微笑んだ。
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