第一部 1

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第一部 1

街を歩いても、そう毎回変わったことが起こるわけではない。 セーラー服の女子高生たちは流行りのコーヒーショップのドリンク片手に楽しそうであり、仕事帰りのサラリーマンたちは疲れた顔をしてとぼとぼと歩いている。 犬をつれた主婦と肩が当たりそうになり、馨は道を譲った。 機動警ら隊として街を歩くことも今日で最後。 馨は会釈を返してきた主婦ににっこりと笑いかけた。 直属の上司に呼び出されたのは一週間前のこと。ちょうど政府からの正式な発表があった日のことだった。 「・・・潜入捜査・・・?」 「そうだ。ニュースは見たな?」 「はい。ですが、どうして警ら隊の自分が・・・」 「勘が悪いな。・・・お前、Domだろう」 「!!」 「それもSSランクだ。ここまで言えばわかるな」 「・・・はい」 昨今一般的に知れ渡ることとなった第二の性。 Dominant《ドム》Submissive《サブ》、Normal《ノーマル》、Switch《スウィッチ》・・・ 男女の性を飛び越えて、支配するもの、支配されたいもの、そのどちらでもないもの、どちらも持ち合わせるものに分かれるが、日本国民の多くはNormalであった。 日本政府は先週、その第二の性を理由に、企業が採用を断る、小中学校などが入学を拒否することに対しての罰則を定めたばかりだった。国民の多くはまだ、その第二の性を明らかにするということに対しての抵抗感が強かった。 しかしそんな中、警察には、ある優秀企業を隠れみのとして密かに活動範囲を広げるカルト教団が、日本中のDomを集めている、という情報が入った。 DomはSubを支配するだけではなく、優秀な人間が多い。 Subはそれに反して、隠して生きてる者が大半だった。公的な場所であろうが、プライベートな場所であろうが、Domの力によって理性が効かなくなってしまうことによって、レイプ被害者が激増していることが原因だった。 高槻が所属する機動警ら隊は、そういう被害に遭うSubを少しでも減らすために、交代で二十四時間体制でパトロールをしている。 「あの・・・潜入捜査先は・・・」 「ランドオブライトだ」 「期間は?」 「二年だ」 「に・・・ねん・・・」 「新人のお前が抜擢されたってことは、それだけ期待されてるってことだ」 それはきれいごとだった。 潜入捜査員は、潜入開始と同時に警察官であるデータを全て消されることになっている。 万が一潜入中に命を落とすことがあっても、警察の人間だということが漏れないためである。偽名のまま処理されてしまうのだ。 馨は独身で、両親が交通事故で亡くなっている。歳の離れた妹がいるが、彼女は親戚に育てられていて、同居もしていない。 優秀な新人だからではなく、その身の上が抜擢理由だろうと高槻はすぐに気付いた。 「お前が優秀なDomであるからこその抜擢だ。この潜入捜査は、抑制剤を飲む必要もない。いざという時は、Dom同士ならばグレアを最大限に利用して捜査することが許されている」 「・・・・・・」 「もちろんSubに使うのは厳禁だ。上は、その理性の強さもお前にはあると見越している、ということだ」 「いつからですか」 「来週の始めだ。準備しておけ」 「・・・はい」 上司は馨の肩を二回叩いて、通り過ぎて行った。 馨がDomであることを自覚したのは、高校生の頃だった。同級生との口論の途中で、相手がいきなりへたり込み、顔を上気させて見上げて来たのを見た瞬間、自分が「支配する」側なのだと解った。 その頃からぽつぽつと、Domによるレイプ事件がテレビのニュースで報道されるようになっていた。 自分がDomであると気が付き、加害者側になるかもしれない恐怖と嫌悪感で、抑制剤を飲み始め、同時に警察官を目指した。 警察官は勤務中、抑制剤の使用が義務化されている。それもこの職業を選んだ大きな理由だった。 馨は、出来ればDomであることを意識せず生きていきたかった。 高校の時に感じた「支配したい」感情は、幼い馨にとっては快感ではなく恐怖だった。自分が自分ではなくなってしまう。そんな感覚だった。 なのに。 警察官のデータを消去され、カルト教団に二年間。潜入捜査に入った人間の大半はは戻ってこられないと言われている。 しばらく妹には会えなくなるだろう。 しばらく? いつまで? それでも馨はこの仕事を選んだ。自分で決めたことだ。 覚悟を決めなければ。 馨は大きく息を吐き出した。
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