第二部 黎 1

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第二部 黎 1

目が覚めた(れい)の目に見えたのは、無機質な白い天井と、点滴薬の瓶。ということは、腕に繋がれているのか、と思うが、重くてうまく動かせない。 じわじわと感覚が戻ってくると、身体の至る所が痛いことに気づく。 死ななかった。 大きな爆発に巻き込まれたのはこれで二度目だ。今度こそ死ぬのだろうと覚悟したのは覚えている。 今回は一度目よりもずっと絶望的だったと思う。少年のような顔をした黒幕のSwich。潜入捜査員である黎をSwichに作り替え、ランドオブライトを治めさせた。 おそらく彼は、自分を売り物にした当時の盟主、ひいてはランドオブライトそのものに復讐しようとしていたのだと思う。しかしその頃の盟主と上層部の人間は最初の爆発事故で死んでいる。 もう復讐は終わっているはずなのに、彼はなぜ戻ってきたのか。 ぼんやり考えていると、病室のドアが開く音がした。 「あらっ、蓮見(はすみ)さん、目が覚めてる!先生、先生!」 看護師の女性がばたばたと廊下に出て行き、すぐに医師を連れて戻って来た。 矢継ぎ早の質問に、黎はだいたいのことは答えられた。いくつか記憶が抜けているところはあるものの、ほとんど忘れていることはなかった。 医師たちがひととおりの質問を終えると、警視庁の人間だと名乗る男が二人、入れ替わりにやってきた。 「事情聴取?」 「あなたが潜入捜査員だったことはわかっています。ですから事情聴取というよりも、あの組織について知りたいのです」 ランドオブライトが壊滅し、黎は任を解かれる形となったが、もともと所属していた所轄には既に籍がない。 黎は警察庁本部に繋がるラインに情報を流していた。相容れない警視庁の刑事にこれを流すわけにはいかない。言葉を濁していると、聞き覚えのある声がした。 「申し訳ありませんが、聴取はもう少し待ってもらえませんか」 入口には厳しい顔をした、体躯の大きな男が立っていた。彼も片腕を三角巾で吊っている。 「蓮見さんは目を覚ましたばかりです。出直してください」 その男は鋭い眼圧で警視庁の刑事たちをねめつけた。不穏な空気が流れたが、刑事たちは黎に会釈をすると大股で病室を出て行った。 「・・・蓮見さん」 病室に残った男は、打って変わって優しい声を出した。黎も頬を緩め、男と視線を交わした。 「高坏(たかつき)・・・」 「心配しました。一週間、眠っていたんですよ」 「そんなにか」 「でも絶対に目を覚ますと信じてました」 「つくづく生命力だけは強いようだ・・・助かっても、もう役に立たないが」 高坏(たかつき)(かおる)は、黎の後に潜入捜査員として入って来た若い警察官だった。彼は人並みはずれたグレアの持ち主で、かつ黎の考えていることを感じ取ることのできる特殊能力を持っていた。 「そんなこと言わないでください。あの状況で命が助かっただけでも奇跡に近いんです」 「・・・お前が助けてくれたんだろう」 「覚えているんですか」 「おぼろげだが・・・誰かが受け止めてくれた記憶がある。・・・その腕は、俺を助けたときか」 「腕の一本や二本、大したことありません」 「・・・本当に警察官の鏡だな、お前は」 いかつい顔をしていた馨は、やっと照れ臭そうに笑った。 同じ潜入捜査員であり、所轄も違う警察官同士であったが、馨は「蓮見(はすみ)(れい)」という男を一も二もなく信用した。そしてランドオブライトを壊滅した黒幕の少年の罠に、黎とともに落ち、自分の命を投げ出して黎を救った。 黎はぼそりと呟いた。 「・・・することがなくなったな」 「蓮見さん・・・」 「お前の上司はなんて言っていた?」 「一応・・・戻ってこいと言っていますが、断りました」 「・・・なぜ?」 「何も起こらなかったことにして、普通の生活には戻れません。・・・蓮見さんもじゃありませんか」 「・・・・・・」 「真北(まきた)さんも、(みさき)灯馬(とうま)も行方不明です」 「そうか・・・」 「蓮見さんはどうなさるおつもりですか」 「・・・どう・・・するだろうな」 黎は視線を落とした。 警察にはもう籍はない。若く、潜入捜査員になったばかりの馨はまだ、復職出来る可能性がある。 しかし黎は違う。 最初は上からの命で潜入した。成果が得られず、もう連絡してこなくていい、と言われた二年目。しかし黎は諦めず、毎月決まった日に警察庁に連絡を入れ続けた。その間に担当者は次々と代わり、黎は捨て駒なんだと気づかされた。 「諦めるんですか」 責めるような口調で馨が言った。驚いて黎が顔を上げ、目が合う。上司に対して自分が発した言葉の意味を理解したのか馨が焦る。 「す、すみません、俺・・・」 「かまわない。・・・不甲斐ない、と思うか?」 「そんなことは・・・」 「ランドオブライトが無くなった今、俺は誰でもなくなった」 盟主という立場は捜査をするにあたり、便利でもあり危険でもあった。 真北と出会い、捜査に変化はあったが、結局黎単独の力では久坂(くさか)千尋(ちひろ)というキーマンには辿り着かなかった。 この高坏馨という男に会うまでは。 「あの組織を壊滅に持って行くことが久坂の目的だった。それが果たされた今となっては・・・」 「嘘だ」 「・・・なんだって?」 「あなたはそんな人じゃない」 「・・・お前に何がわかる?」 「・・・わかりません。でも、わかるんです」 黎と馨は強い視線をぶつかり合わせた。無言のまま数秒が過ぎ、馨がひとつ息を吐いた。 「・・・申し訳ありません」 「聞かせてもらおうか、お前の考える俺という人間が「どんな人」なのか」 黎に強い視線を浴びせられ、馨はひとつ息を吸い込み、両手を握りしめてこう答えた。 「・・・蓮見さんが眠ってる間、関さんという方が面会に来ました」 「関さん・・・が?!」 「はい。・・・三日前です」
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