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(お前は警察官として失格だ) (な・・・なんでですか) (基本的なことがなってない。とっとと辞めちまえ) (関さん!) 十年以上前のことが、今でもはっきりと思い出せる。(せき)はことあるごとに(れい)を突き放した。 警察官として失格だ、と言われた理由は確かに基本的なことだが、だからこそ忘れられない。今でも、黎の心にこびりついている。 「蓮見(はすみ)さん、お待たせしました」 記憶を辿っていると、背後から声がする。振り返ると、息を切らした(かおる)が立っていた。 「走ってきたのか」 「すみません、お待たせしてしまったので」 「そんなに待ってないぞ」 「五分遅れました」 「・・・少し力を抜けよ。警察学校じゃないんだぞ」 「あ・・・はい」 恥ずかしそうに馨は笑って、頭をかいた。そして素早い動きで黎のボストンバッグを持ち上げて言った。 「行きましょう。車、すぐそこです」 「ああ。悪いな」 黎の退院の三日前、馨も一足先に退院が決まっていた。車を出す、と言ってくれた馨の申し出は、黎はありがたく受けることにした。 「蓮見さん、コーヒー好きですか」 「え?・・・ああ、普通に」 「じゃあ、これどうぞ」 差し出された有名チェーン店の紙袋の中には、ホットコーヒーとサンドイッチ。 「・・・気が利くな」 「ここの自分が好きなんで。俺も買いました」 「そうか」 「この先高速、乗ります」 「ああ」 黎と馨が入院していたのは海と空港に近い病院だった。車は、潜入捜査前に蓮見が住んでいたアパートに向かっていた。 「これお前の車か」 「いえ、レンタカーです。運転は結構久しぶりなんで、安全運転で行きます」 コーヒーを一口啜り、窓の外を見ながら黎は言った。 「俺もしばらく運転してないな」 「車、好きですか」 「車というより、運転は好きだった」 「・・・捜査員になる前、どんな生活をされてたんですか」 「どんな・・・」 サンドイッチの包み紙を開けかけた手を止めて、黎は少し考えた。 「仕事と家の往復。一人暮らしで、自炊はほとんどしない。休みの日は適当にその辺を車でうろつく程度・・・かな」 黎は馨の横顔に向かって言った。 「面白くないだろ」 「・・・俺も似たようなもんです。仕事と家の往復ばかりで・・・潜入捜査員になるまでは」 「・・・潜入捜査員になってなければ、お前だってもっと楽しいことがあったかもしれないな」 「楽しいこと・・・ですか」 「若い奴の楽しみってのはよく解らんが・・・買い物とか、映画・・・とか?」 「俺、物欲なくて。映画もネットとかで見ちゃうんで・・・」 「友達は?」 「・・・学生時代の友達が数人、ですかね」 「そんな気がしてた」 馨は赤信号でブレーキを踏み込んだ。車が静止して、黎を見ると馨は尋ねた。 「そんな気・・・?」 「お前、人付き合い、苦手だろ」 「・・・・・・そう、ですね」 「警察官には向いてるかもしれないが、友達を作るのは難しそうだな」 「はい」 「・・・付き合っていた人は」 口をついて出た言葉に、黎自身驚いていた。しかし馨は大真面目に答えた。 「学生時代はいました。警察官になってからは・・・・ずっといません」 信号が青に変わった。車は静かに走り出す。 「蓮見さんは・・・どうなんですか」 「・・・どう?」 「お付き合いしていた人はいないんですか」 「・・・・・いなかった」 黎はサンドイッチにかぶりついた。レタスがぱりっと音を立てた。もぐもぐと咀嚼し、喉を通り過ぎると黎は言った。 「余裕がなかった。お前もそうだったんじゃないか」 「・・・そうですね」 「なりたての警察官なんてそんなもんだ。余裕がなくて当然。余裕が出来るころにはすっかり中年だ」 「蓮見さんは中年じゃないですよ」 「お前に比べれば年寄りだよ」 「年寄りって・・・」 ははは、と馨は声を上げて笑った。 「何がおかしい?」 「蓮見さん、自分のことを年寄りだって思ってるんですか?」 「それは・・・」 「潜入捜査員に抜擢される人が年寄りなわけないじゃないですか・・・あ、お年寄りが悪いって意味じゃなくて、ですよ」 「・・・・・・」 「それに、蓮見さんの鍛えた身体を見て、誰が年寄りなんて思う・・・」 途中まで言い掛けた馨は、口を開けたまま固まった。そして、空いた手で口を覆うと、今までとは打って変わって弱々しい声でこう言った。 「あの・・・す・・・すみません、その・・・」 「・・・?」 黎はもう一口サンドイッチを頬張り、小首を傾げた。 「今のはその、変な意味じゃなくて・・・ですね・・・」 黎はこの時、久坂に強制されたプレイで、馨の前で発熱したことを覚えていなかった。 耳を赤くする馨を、黎は不思議な思いで見つめていた。 「おかしなやつだな」 「あ、はは、すみません・・・おかしいっすよね」 はは、と黎が笑った。 馨はアクセルを強く踏み込み、車はスピードを上げて高速道路のインターチェンジへと滑り込んで行った。
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