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「住所は・・・このあたりですね」
「ああ、その角を右に」
「はい・・・・・・あれ」
想像していた建物は見あたらなかった。予定通りの場所に車を停めると、馨は降りてあたりを見回した。
「住所、ここであってますよね。おかしいな」
黎も車を降りた。
ポケットに手を突っ込み、そこにあったはずの二階建てのアパートの跡を見つめると、振り返った。
「高坏、悪いがどこかホテルを取ってもらえるか」
「も、もちろん構いませんが・・・これは・・・」
「車で話そう」
「は・・・はい」
先に車に戻った馨は、黎が空き地になったアパート跡で何かを拾う後ろ姿を見ていた。
「何かありましたか」
助手席に戻って来た黎の手を見て、馨は尋ねた。
黎は何も言わず、右手の平にのせた物を馨の前に差し出した。
「・・・久坂だ」
黎の手の上にあったのは、黎が盟主だった時に身につけていた髪飾りだった。半分に割れて宝石が取れてはいるが、間違いなかった。
「これを・・・久坂が?!」
「俺に帰る場所はない、とでも言いたいんだろう」
「・・・・・・」
「車を出してくれるか。ホテルを探す」
「あの、蓮見さん」
「うん?」
「うちに・・・来ませんか」
「え?」
「今・・・ひとりにならない方がいいと思います。狭いですが、寝るところくらいあります」
「高坏・・・」
「これが久坂の意思表示なら、例え蓮見さんでも危険です」
警察官ではなくなり、身を守る術はそのグレアしかない。馨の真剣な表情に、黎はうなづいた。
「わかった。世話になってすまないな」
「そんなこと気にしないでください。それより身を守ることを考えましょう。久坂は・・・多分まだ、諦めてない」
馨も黎も、久坂が黎を亡き者にしようとしている、とは言葉にしなかった。
馨はキーを回し、アクセルを踏み込んだ。
「これを使ってください。良ければこれも」
馨は難しい顔をして座っている黎に、白のバスタオル、フェイスタオル、割と新しいスウェットの上下を手渡した。
「風呂狭いですけど、少しはリラックス出来ると思います」
「お前が先に入れ」
「いえ、気にしないで入ってください」
馨は、ずい、とタオルを差し出した。小さく笑って黎は受け取った。
「・・・ありがとう」
「ごゆっくり」
黎はバスルームのドアを開けた。
馨の住んでいた部屋は確かに広くはないが、小綺麗で快適だった。黎ほどの期間ではないにしろ、しばらく留守にしていたせいか空気が淀んでいた。窓を開け喚起をし、ほこりを払い、馨はてきぱきと黎のための客間の準備をした。
わざわざ新品のタオルを出してきたようで、手触りは柔らかい。黎は服を脱ぎ、半透明の折り畳み式のドアを開けると、白い湯気が黎を包み込んだ。
ゆっくり風呂に入ったのはいつぶりだっただろうか。
盟主の部屋には広く豪華な猫足のついたバスタブと金のシャワーノズルがついていた。いつも掃除が行き届いていて清潔、体格のいい黎が足を伸ばしても余裕があるほどの風呂にも関わらず、黎はそこでくつろいだ気持ちになったことはなかった。
誰かにいつも見張られているような感覚がつきまとっていたからだ。
ゆっくり湯船に浸かり、髪と身体を洗う。ランドオブライトでは、腰まである長い髪のウイッグをいつも身につけていた。風呂に入る時と、馨や真北と話す時だけは外すことが出来た。今は無いはずなのに、無意識に手が長い髪を触る動きをして、嫌気がさす。
「ありがとう、いい湯だった」
すっかり温まり、少しオーバーサイズのスウェットを着て黎はリビングに戻った。
普段料理をしない、と言った馨は、黎が風呂に入っている間にフードデリバリーを頼んでいたらしい。小さなテーブルにカツ丼が二人分と味噌汁の碗が並んでいた。
「良かったです。飯、食いませんか」
「・・・そういうのを食べるのは久しぶりだ」
「国では・・・どんな食事をしてたんですか」
「どんなものだと思う?」
「えっと・・・鮨、とか?」
「ならまだマシだ。・・・フレンチのフルコースやイタリアンばかりで嫌気が指したよ」
「毎日ですか?」
「一日置きくらいだが・・・和食にしてくれ、と言ったら、懐石料理になった」
馨は驚いて目をぱちくりさせた。その顔に黎が笑う。気を取り直して馨はカツ丼の椀の蓋を開けて言った。
「ここのカツ丼うまいんですよ。食べましょう」
パキッと音を立てて、二人は割り箸を割った。
黙々と食事を済ませ、冷えたビールを一本ずつ飲み干した。
「酒は強いんですか」
「普通・・・いや、あまり強くはないな」
「意外です。すごく強いんだと思ってました」
「よく言われるよ。俺はそんな酒豪顔か?」
「す、すいません」
「冗談だ、気にするな。強くはないが、飲んで、気分が良くなるのは嫌いじゃない・・・今日みたいにリラックスして、うまい飯と酒を楽しんだのは久しぶりだ」
「楽しいですか」
「・・・ああ、何年かぶりに楽しいよ」
「蓮見さん・・・」
「眠くなってきたな・・・」
黎は欠伸をかみ殺した。最後の一口のビールを飲み干して、腕を天井に向かって伸ばした。
馨がカツ丼の器とビールの缶をキッチンに運んで戻ってくる頃には、黎は半分夢見心地だった。
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