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蓮見(はすみ)さん、そこで寝たら風邪をひきますよ」 (かおる)の声が心地良かった。 張りつめていた緊張の糸を、今日だけは緩めたい。久坂がまだ諦めていないとは言え、今夜だけは何も考えずに休みたい、と(れい)は思った。強く揺さぶられても、眠気が勝ってしまい瞼が自然に落ちてくる。 「蓮見さん・・・」 馨が何か言っているが、はっきり聞き取れない。大きな手が肩に触れた。馨は体温が高く、触れられると心地よい。本格的に眠りに落ちる寸前、首元でチャリ、と音がした。 ビジネス的に結んだ契約(claim)の証である、馨の妹のチェーンネックレス。カラーの代用品として譲り受けたものだが、その役目を果たしたのは一回。一度だけ、馨が「黎」と呼んだ。 黎は初めて馨のSubになった時のことを覚えていた。 無理矢理久坂に従属させられる息苦しさが消え、心の底から沸き上がってくる安心感と、自ら飛び込みたいという渇望。初めての感覚に守られながら黎はそのまま気を失った。 プレイのために結んだ契約ではなく、久坂から逃れるための苦肉の策ではあったが、黎は時折、あの感覚をもう一度感じてみたい、と思うことがあった。 「高・・・坏・・・」 言葉が勝手に口をつく。 馨の指先が、ネックレスのチェーンを揺らす。朦朧とする意識の中で、黎はチェーンを触る馨の指を触った。ごつごつした、手のひらの面積の広いグローブのような手。 ああ、この手だ。 あの人の手に似ている。 壊れた講堂の屋根から落下した時、抱き留めたのは紛れもなくこの手だった。 「蓮見さん、起きてください」 「起きて・・・る・・・」 「移動しましょう、ベッド使ってください」 「ん・・・」 馨の手が耳に触れた。その瞬間、雷に撃たれたような衝撃が走った。同時に目の前の馨も驚いた顔で手を引っ込めた。 「な・・・なんだ・・・?」 耳から首にかけて走った衝撃に、朦朧としていた黎の意識がはっきり戻った。馨は痛みを感じた指を口を開けて見下ろしている。 黎の心臓が、全力疾走の直後のように激しく打ち始めた。何が起こっているのがわからない。 血が沸き上がる感覚に、馨に借りたスウェットの襟ぐりを引っ張り熱を逃がした。 と、黎のすぐ近くでがたん、と何かが倒れる音がした。立ち膝をついてのぞき込んでいたはずの馨が、床に両手をつき、四つん這いになっている。足に当たったのか、近くにあったテーブルが倒れている。 「高坏・・・?」 馨の荒い息づかいが聞こえてくる。下を向いていて顔は見えない。黎の呼びかけには答えられないようだ。 「・・・かないで・・・」 「え・・・?」 「だめです・・・近づかな・・・っ・・・」 「高坏?」 黎は馨の肩に触れた。びくんと震える。その熱さに驚いて、とっさに引っ込めてしまった。 「おかしいんです・・・急に、身体が・・・っ・・・」 馨が顔を持ち上げた。とろんとした瞳、紅潮した首から顔、半開きの唇。 この表情を見たことがある。それも何度も。 「高坏」 「俺、外に出ます・・・何かおかしいんです」 「高坏、聞け」 「ち・・・近づかないでください、俺・・・っ」 「高坏!」 黎は熱い馨の身体を掴んだ。馨の熱が手のひらを通して黎の中に流れ込んで来る。火傷しそうな熱さ。しかしかまわず黎は言った。 「それは・・・お前のDomの血が・・・反応してるんだ」 「は・・・反応・・・?」 「契約を結んだだろう」 「あ・・・っ・・・」 「身体がプレイを望んでるんだ」 「で・・・でも・・・っ・・・」 じりじりと後ずさりする馨の肩を、黎は力を込めて引き留める。言葉に出して自覚することで、黎自身身体の熱もぐんぐん上がってくる。 久坂には無理矢理切り替えられ支配を受けた。同時に、いわゆる性的暴行も。身体の準備などおかまいなしだった。当然自発的に「支配されたい」など思ったことはなかった。 しかし今は違う。身体の奥から、欲求がこみ上げてくる。 「・・・俺を見て解らないか・・・?」 「蓮見さん・・・」 狭い部屋、互いの欲求を必死に押し殺して黎と馨は視線を交差させた。 支配したい人間と、支配されたい人間が同じ空間で息を吸っているだけで十分だった。限界点は近い。 「俺・・・でも・・・蓮見さんにそんなことを・・・」 「・・・・・・全部言わせる気か?これはもう不可抗力だ」 「蓮見さん・・・」 「俺だって・・・・・・自発的に「そうされたい」なんて思ったことは・・・ない。でも」 黎は馨の肩を引き寄せた。 「俺がお前を選んだ・・・お前は・・・どうする」 「蓮見さん・・・」 「・・・呼べ」 馨は喉を上下させ、生唾を飲んだ。そして言った。 「れ・・・黎・・・」 その声で、はっきりとスイッチが切り替わった。
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