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「・・・・・・ランドオブライト」 (せき)は低い声で言った。 ランドオブライトに潜入捜査員が入っているのは、警察内部でもごくわずかの人間しか知らないことだった。関が退職したのは十年も前のことで、彼がこの件を知っているはずがなかった。 「どうして・・・その名前を」 「・・・忘れたのか、(れい)。俺は潜入捜査にかけちゃ右に並ぶ者のいない男だぞ」 「それはもちろん覚えています。ですが・・・」 「黎。・・・お前とタカツキがはめられた男は・・・小柄な、女性みたいな可愛い顔の若い奴じゃないか」 「え・・・・・・」 「俺が最後に潜入した場所を忘れたか?」 「最後・・・って・・・」 黎は小さく、あ、と呟いた。不安そうな顔をしている(かおる)を見ると、黎はこう説明した。 「関さんは「光の()」に潜入していた」 「光の環・・・って、あの・・・?」 光の環というのは十年前に無くなった新興宗教団体だった。日本の犯罪史の中でも最悪のケースと名高い、集団自殺事件を引き起こした。ランドオブライトの前身と言われている。 教祖だった男は信者を集団自死に導いたとされ、自らも彼らと同時に死んだ。誘拐、拉致などの罪も疑われていたが、判明する前に死んだことで、何もはっきりとしないままこの事件は迷宮入りになった。 関は周りに聞こえないトーンでこう言った。 「光の環の教祖には、妻との間の子の他に、信者に産ませた隠し子が何人もいたらしい。すべての子供たちの中で、父親の意志を継ぎそうな子供はふたりいた」 「ふたり・・・」 「ひとりは、次期教祖と言われていた一人息子。もうひとりは、最も愛されたと言われる若い女性の信者が産んだ子供だった。結局教祖の死で残った信者もバラバラになったが、どうやらその一人息子がランドオブライトの始祖ではないかと言われている」 黎が潜入した時点での盟主は、既に八代目だった。頻繁に盟主の代替わりをするのがランドオブライトの特色だったからである。 「多分お前たちが会ったのは、ふたりめの・・・女性信者の息子だ。今年でちょうど二十歳になる」 「まだ十代に見えました」 「それは・・・もしかすると血のせいかもしれないな」 「血?」 「これは飽くまでも噂だが、母親である女性信者というのは、教祖の実の妹だとか・・・」 「・・・・・・」 黎と馨の脳裏には久坂(くさか)千尋(ちひろ)のあどけない笑顔が浮かんでいた。許されぬ血縁の子供。 黎は尋ねた。 「関さん、俺たちが会った男は、久坂千尋という偽名を使っていました。本名を知っていますか」 関はうなづくと、パンツのポケットから一枚の写真を取り出し、それを裏返してテーブルに乗せた。 「名前は、前嶋。前嶋(まえじま)望未(のぞみ)だ」 まえじまのぞみ、と馨が復唱した。関は写真を裏返した。そこにはまだ子供の前嶋が、目の大きな女性と並んで写っていた。 「ランドオブライトが出来た頃、前嶋望未はまだ子供だった。横の女性は母親だ。集団自殺のメンバーのひとり」 「関さん、久坂・・・いや、前嶋は何年か前に既にランドオブライトに入っています。俺が盟主に据えられる前にあった爆発事故の被害者で・・・人身売買の商品になるところでした。爆発で怪我をして、今年久坂千尋と名乗って戻ってきました。・・・・その理由をご存知で?」 「・・・お前はわかってるんじゃないのか」 間髪入れずに関に質問を返され、黎は言葉に詰まった。馨が心配そうに横目で様子を伺っている。 「・・・関さん」 「いや、すまん。・・・おそらく、前嶋はランドオブライトを自分のものにしたかったんだろう。実の息子は優秀だったそうだが人望がなかった。前嶋は幼い頃から教祖に最も可愛がられ、ここをお前にやる、と言われていた。しかし光の環は潰れ、ランドオブライトは実の息子のものになった・・・」 馨は無意識に首を傾げていた。 久坂、いや前嶋望未がランドオブライトを手に入れようとしていたとは思えない。それが本当なら二度目の爆発事件など起こさず、とっとと黎を殺し手に入れればいいだけのこと。 しかし前嶋は、馨に言ったのだ。 (高月さんも一緒に行きましょうよ。蓮見さんはもう・・・僕のものになりましたよ) ランドオブライトが欲しいのではない。黎も同じ考えなのか、腕を組み難しい顔をしている。 馨は重い沈黙を破った。 「あの、関さん」 「おう、なんだ、タカツキ」 「関さんはもう・・・警察関係者じゃないんですよね」 「ああ、もう一般人だ」 「どうしてそんなに詳しいんですか」 「・・・・・・」 関は黙った。そして視線をわずかに動かして、黎を見た。 しかし依然黙っている関の代わりに黎が言った。 「・・・ランドオブライトに・・・俺たちの他に潜入捜査員が?」 馨は目を見開いた。関はテーブルの上で両手を組むと、さらに声を潜めた。 「警察・・・ではないがな」 「どういうことですか」 「・・・個人的な調査だ」 「怨恨ということですか」 関は目を見開き、ぱっと黎を見た。 「おい、お前の弟分、なかなか察しがいいぞ」 黎は口の端だけを上げて笑い、おかげさまで、と答えた。関は馨に向かって説明を始めた。 「俺はヘマをして警察をおんだされたが・・・確かにちょっとした怨恨が原因だ。光の環の生き残りを個人的に追ってた。で、ランドオブライトの発足直後にひとり、協力者を紛れ込ませた」 馨は関に向かって顔を近づけ、強い視線で戒めた。 「・・・危険です」 「承知の上だ」 「蓮見さんはご存知だったんですか」 黎は関を親指で示しながら答えた。 「・・・今知ったよ。昔からこの人はスタンドプレーが得意なんだ」 関はちらりと舌を出しておどけて見せた。黎は肩をすくめてため息をついた。このふたりの関係性がかいまみえる瞬間だった。 「これからも教えるつもりはねえが・・・お前たちが怪我をした事故で、俺に情報をくれた奴とは連絡が取れなくなった。・・・死んだかもしれん」 事故で生き残ったのは、黎、馨、そのほかに数人いると聞いているが、違う病院に運ばれていた。あとは行方不明者が五人。その中に、真北晴臣と岬灯馬が入っている。 馨は言った。 「関さんはこれからも・・・捜査を続けるつもりですか」 「捜査なんてたいそうなもんじゃねえがな。俺が生きてる間は追い続ける」 「危険です」 「お前らも同じだろ」 「・・・ですが、俺たちは」 「ついこの間まで現役でしたってか?」 「・・・・・・」 馨が気まずさに口をつぐむと、黎が横から言った。 「そのとおりですよ、関さん。俺と高坏は一週間前まで警察官だった。俺も関さんの単独行動は危険だと思います」 「今更だ。本当に危険ならとっくに死んでるさ」 関はにんまり笑った。何を言っても引き下がる様子はなかった。 黎は少し身を乗り出して尋ねた。 「関さん、もし俺たちが捜査を引き継ぐと言ったら任せてくれますか」 「お前らだって一般人だろ」 「俺たちは二人です。関さんより安全だ」 「俺ひとりでお前ら二人分だ。それとも黎、お前は俺が無力だと思うか?」 「そうは思いませんが」 「心配すんな。俺ならひとりで平気だ。それよりお前ら、これからどうするつもりだ」 関はぐーん、と椅子の背に反り返った。そして水の入ったコップを持つと、残った半分を一気に飲み干した。 黎は少し間を空けて、こう答えた。 「・・・前嶋を探します。警察関係者に協力者もいるので」 「・・・そうか。気をつけろよ」 「関さん、もう一度言いますが・・・俺たちは」 「黎、お前の気持ちだけありがたくもらっておく。俺は俺のやり方しか出来んからな」 「・・・・・・そうですか」 沈黙が流れた。 関は財布から一万円札を取り出し、伝票の下に挟み込むと、馨に向かって言った。 「タカツキ、この間も言ったが、こいつは頑固で融通が効かない奴でな。よろしく頼むよ」 「せ、関さん!」 黎が珍しく声を上げた。ははは、と関は笑い飛ばし、立ち上がった。 「じゃあな、また連絡する」 馨がテーブルに置かれた一万円札を慌てて持って立ち上がった。黎がそれを制し、関はゆうゆうと店を出ていった。 「蓮見さん、これ・・・」 「・・・あまりは貰っとけ。これから何かと入り用だ」 「でも」 「いいんだよ。あの人、金は余ってるから」
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