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 楠木(くすのき)佳人(よしひと)、という男は、宗教団体「光の環」発足メンバーだった。 「俺は光の環を作った人間をよく知ってる」  のちに教祖になった男、すなわち前嶋の父親にあたる男は、楠木に「美しい国を作ろう」と持ちかけたという。 「あいつは正義感が強く優しい男だったよ。だから俺も、まさかそれがいずれ宗教団体になるとは思っていなかった」 「最初の目的はなんだったんですか」 「・・・環境破壊を許せない男でね」  教祖だった前嶋の父親は、自給自足で生きていける「国」を作った。水も食料も、電力供給も自分たちの力だけでどうにかしようとした。 無農薬の野菜や米を作り、井戸を掘り、太陽光発電だけで生活エネルギーをまかない、それと同時に動物愛護団体とも交流があった。動物の殺処分や、有害物質の排水をたれ流す工場などを激しく否定し、デモを起こしたり、マスコミにリークしたりしていた。  しかしある時からぱたりとそういった活動はやみ、自然主義の「仲間」たちの国はいつしかねじ曲がった信念を持った集団に成り代わっていった。 「あれは・・・仲間が増え初めて一年ほど経った頃だったと思う。あいつが変わったとはっきりわかったのは、前嶋(まえじま)弓衣(ゆみえ)が入ってきてからだ」  前嶋(まえじま)弓衣(ゆみえ)。久坂こと前嶋(まえじま)望未(のぞみ)の母親。彼女は教団幹部の女性の幼なじみだった。父親を事故で亡くしたばかりの弓衣は、落ち込んでいるところを幹部女性に誘われて、ふらりとやってきたのだ。 「最初は他の信者たちに混じって彼女は普通に暮らしていた。・・・教祖に見つかるまでは」  前嶋弓衣はSubだった。教祖は当然Domであり、正妻はnormalだった。教祖にはダイナミクスのパートナーがおらず、弓衣に出会ったことで急激に歯車が狂い始めた。  教祖はある時、彼女を特別に呼び出した。その時点で既に弓衣は信者の一人の男と交際していたが、教祖に呼ばれた翌日から彼女は急に「側室」扱いされるようになった。 「楠木さん、俺たちが聞いた話では、前嶋の母親は多くいた妾のひとりで、他にもたくさんそういう女性がいたと・・・」 「表向きにはそういうことになっている。しかし実際正妻が産んだ長男以外は、彼女が産んだらしい」 「では・・・前嶋には兄弟が?」 「噂だがな」  楠木はその頃、幹部のひとりだった。弓衣を溺愛する教祖は徐々に様子が変わり、対外的なことはほぼ幹部に任せ、弓衣を側に起き昼間から情事に耽るようになった。  教祖の変貌に、楠木の他にも首を傾げる幹部は増えていった。弓衣は「傾国」と呼ばれた。 「前嶋望未が生まれた年には、すっかり教団の色は変わってしまっていた。ニュースにもなった集団自殺の基盤が出来たのもそのころだ」  この汚れた世界の肉体を捨てて自由になろう、という教えが主となり、それに賛同できない信者が足ぬけし始める反面、熱狂的にのめりこむ信者も増えていった。 「前嶋弓衣の産んだ教祖の子供たちは、Domで生まれてくる子がほとんどいなかったそうだ。望未は末っ子で、念願のDomだったと聞いている」  前嶋はswichだが、当時はまだその要素に気づいていなかったようだ。待ち望んだDomであり、彼が教祖に可愛がられた、という関から聞いた話にも繋がってくる。 「楠木さん、俺たちは今、前嶋望未を探しているんですが、当時の関係者で彼を匿えるような人はいませんか」 「知っての通り、当時の人間は集団自殺している。俺は初期の人間で、初めて自殺を「儀式」として決行したときに死に損なってこうなってる」  楠木は自分のただれた肌を指さした。 「俺は無事に抜けることが出来たが、同期の人間はもうほとんどいない。・・・他に匿える人間がいるとしたら・・・」 楠木は腕を組み、視線を宙にさまよわせた。そして立ち上がり、ベッド脇の箪笥の引き出しの中から年季の入った手帳を取り出してきた。 「もし匿われているとしたら・・・こいつだろう」  楠木は手帳の中の一人の人物の名前に指を当て、黎の顔を見た。 「こいつは信者の中でも異質だった。表向きは教祖に心酔しているように見えて、いつか乗っ取ってやろう、と考えているようなヤバい奴だった。まあ、今は俺と同じで爺になっているから心配いらないだろうが・・・」 「この人は今、どこに住んでいますか」 「神奈川にいるはずだ。十年以上前に、駆け込み寺のような施設を立ち上げたと聞いている」 「駆け込み寺?」 「いわゆる虐待児童の受け入れ専門施設だ」 え、と馨が声を上げた。黎と楠木が同時に馨を見た。 「どうした?」 「灯馬が・・・虐待被害者を受け入れる施設に行くと・・・」 黎と楠木は顔を見合わせ固まった。 「場所は?!」 「ええと・・・」 携帯のメモに入れた灯馬が頼ると言った施設の電話番号の市外局番は、神奈川のものだった。
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