4

1/1
前へ
/97ページ
次へ

4

五日目の朝。 それは急な出来事だった。 「体調はどうだい?」 いつもの食事の時間が終わると、真北(まきた)が準備部屋の扉を叩いた 「特に変わりはありませんが」 「そうか。やはり君はかなりランクの高いDomなんだな」 「え?」 「いや、こっちの話だ。さあ、出るんだ」 「解放ですか?」 「そうだよ、君はもう、我々の仲間だ」 つまり、まだ仲間として認めてもらえていなかったのだ。真北は(かおる)の作務衣の胸にネームプレートと、(みさき)と同じ赤いバッジを付けた。 「友達は出来たかい?」 前を歩く真北は、振り返らずにそう尋ねてきた。どう答えるのが得策か読めず、とりあえずありのままのことを答えた。 「はい、自由時間に知り合いました」 「岬くんかい」 「・・・ご存じなんですね」 「だいたいのことはね。岬くんはいい子だ。いろいろ教わるといい」 「はい」 「今日は面会だ。なに、緊張することはない」 「面会・・・」 「我がランドオブライトの盟主は、とてつもなく強いグレアの持ち主でね。最初は驚くかもしれないが、じきに慣れるから心配しなくていい」 「はい」 「君が着ている作務衣は特別なもので、万が一盟主のグレアに当てられても守ってくれる造りになっている」 私服ではまずい、というのはこれが理由だったようだ。何が起こるのだろう。 「もし・・・着ていなかったら、どうなるんですか」 「気を失ったり、発熱したり。汚い話だが、排泄がコントロール出来なくなったりする。作務衣を着ていても、ランクが低ければ身体が耐えられない」 「・・・・・・」 「まあ、おそらく君は大丈夫だろう」 馨は自分より強いグレアを持つ人間には、ほとんど出会ったことがなかった。はっきりと覚えているのは父親と直属の上司の二人だけ。どちらも普段は抑制剤で暴走を抑えていたので、当てられて前後不覚になるようなことはなかった。 盟主は当然、抑制剤など飲んでいないだろう。どれほどの強さなのか、果たして自分は耐えられるのか。馨は拳を強く握りしめた。 仰々しい大きさの、両開きの木製の扉。部屋の内側から音を立てて左右に開かれ、馨は真北の後について中に足を踏み入れた。 前を見据えたまま、馨はだだっ広い中の様子を把握しようと目だけを動かした。講堂、といったところか。 たくさんの椅子が、中心に据えられた「箱」のようなものに向かって放射状に並べられている。「箱」には白い透け感のある布が被されている。言うなれば平安時代の身分が高い人間が姿を隠す御簾のようだ。よくよく目を凝らすと中に人がいるのがわかるが、それよりも布越しに空気をびりびり震わせるグレアの方が、よっぽどその中の人物の存在を知らせていた。 「盟主、先週入国した新人です」 入国、という言葉に悪寒が走る。 真北のよく通る声に、ふわりと「御簾」が揺れた。 いよいよ盟主の顔が見られる、と思った瞬間、馨の頭の中に直接「声」が響いた。 (潜入捜査員か) 顔色を変えないようにするのがぎりぎりだった。 真北の様子を見ても、彼には聞こえていないようだ。では、これは幻聴だろうか?やはり準備部屋での食事に何か盛られていたのか。 「御簾」がするする、と持ち上がり、中に座っている盟主の身体が徐々に見え始めた。 カルト教団の教祖にありがちな真っ白な服ではなかった。豪華に刺繍がこらされた着物を、着ているというよりは、何枚も重ねて羽織っている。十二単衣を連想させる。 盟主は想像よりもずっと若かった。日本人離れして見える彫りの深い顔つきは、着物とのバランスが悪い。さらに長く伸ばした髪が彼を中性的に見せていた。鋭い眼光が馨を正面から捕らえる。 恐ろしく強いグレアが放たれていた。 勝手に歯の根が震え出す。真北が振り返り、一歩進むように促された。馨はどうにかして正気を保ち、言われたまま一歩踏み出した。   (心配するな) もう一度、「声」が響いた。 盟主は黙っている。しかし、確かに盟主が鎮座する方向から聞こえてくる。 「名前は」 頭の中に響いた声と同じトーンで、盟主は言った。やはりこの声は盟主のものなのだ。 潜入捜査員だとわかっているのに、心配するな、とはどういうことなのか。今ここでくびり殺されるのか。 馨はごくりと喉を上下させ、腹に力を入れて答えた。 「高月(たかつき)(かおる)です」 馨は背中に一筋汗が流れるのが解った。それまで講堂に充満していた盟主のグレアが、一本の針のように鋭くなり馨に注がれ始めたからだ。 「真北、席を外せ」 盟主の言葉に真北は、かしこまりました、と言うとあっさり部屋を出て行った。馨の緊張は一瞬にして最高潮まで引き上げられた。 「高月と言ったな」 盟主の声は、耳と頭に同時に響いた。はい、と答えると、盟主のグレアがさらに強まる。 肌が焼けそうだった。前髪の先が焦げてしまうんじゃないかと思うほど熱い。 「受け止めてみろ」 「えっ・・・」 次の瞬間、馨は死の恐怖に晒された。 強い、と思っていた盟主のグレアは、まだまだ序の口だったのだ。 (やばい・・・っ・・) 真北が言うように、盟主の力はランクの低い者なら失禁して廃人になるレベルだった。 馨は焼け付くような痛みの中で死に直面し、学生の時以来絶対に出さないように封じ込めていたグレアを一気に解放した。 高校の時、過失とはいえ、これを浴びせた相手は半年入院することになってしまった。警察官になるにあたり、この強すぎるグレアに頼らずに生きていくため、がむしゃらに努力した。 表立ってグレアを放出したのはその時以来だった。 盟主の強いグレアを必死に押し返すと、じわじわと鋭利な切っ先が丸くなっていくのが解った。室内なのにも関わらず、盟主のいる場所の背後から突風が吹きすさぶ。 (なるほどな) 頭の中に再び盟主の声が聞こえた。 そして数秒の後、急激に盟主のグレアが弱まり、突風も止んだ。 息が上がり、膝ががくがくと震えた。どうやら何とか盟主のグレアに押し殺されることは免れたようだった。 「高月」 「は・・・はい」 「そのグレア・・・使い慣れていないようだな」 「・・・・・・その通りです」 盟主はそれ以上何も言わなかった。静まりかえった空間に辛くなり始めた時、扉が開いて真北が戻ってきた。 「盟主、いかがでしたか」 真北は近づきながら盟主に尋ねた。馨は真北と盟主の顔を交互に見た。 「・・・良質なグレアだ。慣れればいい戦力になるだろう」 「ようございました。では、よろしいですね」 「ああ。詳しくは追って話す」 「かしこまりました」 真北が深く頭を下げたので、馨もつられて頭を下げた。 盟主の前にするすると「御簾」が下り、彼の姿は見えなくなった。それが合図のようで、真北は、じゃあ行こうか、と馨の背に手を当てた。 その手が作務衣越しに肌に触れ、馨は自分が全身に脂汗をかいていることに気づいた。 重い足を引きずって講堂を出ようとしたその時、盟主の「声」が再び頭の中に響いた。 (高月) 馨は思わず足を止めた。真北が振り向く。 「どうした?」 「あ・・・、いえ」 (振り向くな。そのまま聞け) 被さるように盟主の声が響く。 (今夜二十五時に) 二十五時。 深夜に何があるというのか。まさかまた、グレアの力比べをさせられるわけではないだろうが、これは断ることは出来ない話なのだと理解した。馨は真北の横を歩きながら、頭の中で(わかりました)と答えた。 その声が本当に盟主に届いているかどうかはわからなかったのだが。
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

247人が本棚に入れています
本棚に追加