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(目が覚めたかい?) (・・・?) (気分は?) (ここは・・・?) (ここは病院だよ。もう心配ないからね)  黎、十六歳。目が覚めたときに覚えていたのは、自分の名前だけだった。 (自分の名前は言える?) (れい・・・)  (れい)は腕を動かした。肩から手首まで包帯が巻かれ、肘の内側の隙間から点滴の管が繋がれている。首を動かすと、ずきん、と鋭い痛みが走った。看護師の女性が、まだ動かない方がいいわ、と優しく言った。 (僕は・・・怪我をしたんですか?) (ああ。でももう大丈夫、ちゃんと治るからね) 医者はどういう経緯で黎が怪我をしたのかを明らかにしなかった。何を考えようとすると頭痛がした。 それでも黎は目を瞑り、こうなる前のことを懸命に思い出そうとした。どこから来たのか、何があったのか。 「記憶喪失・・・?!」 「十六の前の記憶だけだ。何度もやってみたが、覚えていたのは海が見えたことだけだった」 「海の記憶は、それなんですね」 「それも・・・海の中からの景色だ」 「えっ?!」 「後で聞いた話、俺は崖から落ちて、溺れていたところを助けられたそうだ」 「崖?!」  情報量の多さに(かおる)は口を開けたまま固まった。 「それもかなり流されたそうで、落ちた場所が特定出来なかった。だから目撃者もいない」 「・・・・・・」 「両親のことも、学校のことも覚えていない。今もだ」 「・・・出生が前嶋に似ているというのは?」 「それは養父母のことだ」  黎が回復する頃、ある夫婦が病室を訪れた。彼らは黎の母親の兄とその妻だと名乗り、病室で黎を抱きしめ号泣した。 「俺の実の母は十年以上年連絡が取れない状態だったそうだ。探し続けていたらしい。俺は母親によく似ているそうで、一目で息子だと分かったと・・・これが本当かは定かじゃないが」 その後、記憶を失って身寄りのない黎は、叔父夫婦に引き取られた。彼らには黎と同じ年頃の一人息子がおり、存在も知らなかった従兄弟をこれからは家族だと紹介され、彼は面食らった。 「叔父は資産家だった。何不自由ない生活を送らせてもらったが、想像していた状況とは実際はずいぶん違ったよ」  Domであり、何においても出来の良かった黎は、転入した高校でも成績優秀だった。実子は跡取りとして育てられていたが、黎に比べるとかなり劣っていた。かつ、叔父が優秀な黎を特別に可愛がりはじめたことで、家庭内のパワーバランスが変わって行った。 「前嶋と似ている、と言ったのは、その実子が俺を嫌い、結局はその家すら出なきゃならなくなったことだ。養父母には感謝しているが・・・彼らの息子は別だ」  叔父の一人息子もDomだった。決まったパートナーはおらず、そのグレアを持て余していた。 「彼は厳しく育てられた反動で、両親に隠れてSubの使用人や、学校の後輩にプレイを強要していた。俺はそれを気づいていたが、立場上止められなかった」  ある日、息子は使用人の女性を相手にプレイをしていたが、彼女がバッドトリップに陥った。屋敷の廊下で放置されうずくまっているのを、通りがかった黎が見つけた。 「俺は彼女を介抱したが、回復する様子はなかった。養父母に言うことも出来ずにいるうちに、それをやったのは俺だと、彼は罪をなすりつけた」 「・・・・・・」 「漫画みたいな話だ。その一件で俺は、自分にも同じ力があることが嫌になった。同時に、被害にあった彼女のような人間を減らしたい、と思い警察官を目指した」 「そんなことが・・・」 「グレアを使わなくても人を守れると証明したかった・・・・・・潜入捜査員になるまでは」  Domのグレアは使い方を間違えるとただの暴力になる。悲しいことに、間違えて使う人間が極めて多い。奇しくも馨と黎は、似たような理由で警察官を目指していた。 「当時の俺は、ダイナミクスを利用して潜入捜査をするなんて思ってもいなかった。今じゃダイナミクスありきでしか捜査を続けられない・・・」  悲しそうにつぶやいた黎に、馨は少し強い口調で言った。 「それは、ありき、ではなく選ばれたのではありませんか」 「・・・選ばれた?」 「Domを正しく使うべき人だと」 「・・・・・・」 「前嶋と出生の背景が似ていたとしても、黎さんは奴とは違う。前嶋を逮捕して引導を渡すことができるのはあなただけです」 「引導か・・・・・・・」  黎は古風だな、と言って笑った。 「今も、本当のご両親のことは・・・」 「思い出せない。調べようと思ったこともあるが、そういう気持ちにはなれなかった」  馨は、黎が飄々としているその裏でどこか悲しげなのは、この過去があったからなのか、と思った。孤独と強さは背中合わせだ。 「前嶋は間違っている」  黎はきっぱりと言い切った。 「間違ったDomを止められるのは、冷静で強いDomだ。・・・馨」 「はい」 「冷静でいてくれ。これから先俺に何があっても、お前が冷静じゃないと困る」 「何があっても・・・」 「俺の命が目的なのはもう明らかだ」 事実を口に出したくない、と思っていた馨は、返事の代わりに口を真一文字に結んでうなづいた。 「俺を殺すことが奴にとってどういうメリットなのか解らないが、そういうことなら決着をつけに行く」 「・・・・・・」 「奴に近づけば、俺に執着する理由も解るだろう。明日、最後の場所に行くぞ」 でも黎さんの身体が、と言い掛けて馨は口をつぐんだ。黎の瞳には、有無を言わせない力があった。 最後に訪れる予定の場所とは、一般にはあまり知れ渡っていない、ダイナミクス専門病院だった。
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