第三部 1

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第三部 1

 ノックが三回、少し間を空けて二回。その合図に真北(まきた)晴臣(はるおみ)は目を開けた。ゆっくり目を開けて身体を起こすと、晴臣は静かにベッドを降りた。  そっとドアを押し開けると、少し離れたところに白いワンピース型の寝間着から裸足の足をのぞかせた少年が立っていた。 「晴臣」  少年は黙って立ち尽くす晴臣の手首を掴んだ。その力は強く、少年とは思えない。なぜなら彼は「少年」ではないからだ。返事を待たず、彼はどこかへ晴臣を連れて行く。  前嶋(まえじま)望未(のぞみ)は二十歳。体も細く顔つきは少女のように可愛らしい。しかし自分よりも頭ひとつ以上大きな晴臣を連れてどんどん進む。無機質なドアがずらりと並ぶ廊下の突き当たり、重々しい両開きの木製の扉を開けると、そこからまだ長い廊下が続く。 「・・・・・・望未さん」 「なに?」 「どちらに」 「今日は僕の部屋」 「・・・・・・それは・・・」 「もう我慢できないよ。今日は言うことを聞いてもらう」 「・・・・・・」  望未の足は止まらない。廊下の突き当たりを右に曲がったところに、入口と同じような造りの扉があった。ドアノブに小さな札がかかっており、「nozomi」と名前が書かれていた。  そこは望未の自室。晴臣は一度だけその部屋を訪れたことがあった。 「さあ」  望未は晴臣を部屋に招き入れ、扉を後ろ手で閉めた。鍵がかかる音に、晴臣は振り向いた。 「望未さん」 「明日の朝まで、ここを出られない」 「・・・・・・」 「さあ始めて」  望未は満面の笑みで胸元の寝間着のボタンをはずしはじめた。すとんと肩から滑り落ちた寝間着の下は、何も着ていない。 「望未さん、私は・・・」 「聞かない」  全裸の望未は晴臣に近づき、その首もとに腕を回した。晴臣は顔を背けたが、すぐに望未の腕に捕まり、無理矢理に唇を塞がれる。 「ほら・・・早く」  望未が何を望んでいるのかは解っていた。どうしても許してもらえないことを悟り、晴臣は望未に気づかれないように小さく息を吐き、低い声でこう言った。 「・・・・・・neel」 「侵入者!A棟に侵入者!」  響きわたるアナウンス。ばたばたと走り回る物騒な足音。  ランドオブライトとは違う、さらに禍々しい雰囲気をもつここは「ダイナミクス専門病院」とは名ばかりで、黒幕である前嶋望未が統べる新しい「国」だった。たまたま鍵が開いていた部屋に飛び込んだ(かおる)は必死に息を整えていた。  山肌を削ったところに建てられたコンクリート打ちっ放しの建物。そこへ車で向かうには一本しか道が無く、しかもその道は途中で途切れていて、徒歩で獣道を進まなければならない。車を乗り捨てて、馨と(れい)は山道を進んだ。その道すがら背後から数人に襲われ、馨は黎とはぐれた。あらかじめ、はぐれた場合は自力で施設にたどり着くことと決めていたので、馨はそれからまる一日かけて施設に潜り込んだ。 (黎さん!黎さん、しっかり!)  何者かに殴りかかられた黎はすんでのところで避け、頭への直撃は免れた。肩を押さえてうずくまっている数メートル先で馨は必死の反撃を試みていた。やっとの思いで向かってくる男たちをのして振り返ると、黎の姿は無くなっていた。あたりを探し回ってもどこにも黎はおらず、襲撃した男たちに連れてゆかれたと思われる。   (黎さん・・・・・・どうかご無事で・・・)  足音が遠ざかって行ったのを見計らい、馨は廊下を出た。  この施設は、ランドオブライトとは明らかに内装が違った。外観だけでなく内側も打ちっぱなしのコンクリートに囲まれている。その中に時折、不似合いな木製の豪華なドアがある。そこは何重にも電子ロックがかかっており、職員でも入ることは叶わない。おそらくその部屋には、上層部、もしくはこの施設の「主」だけが入ることが出来るのだろう。  「主」。とうとう前嶋望未の懐に潜り込むことが出来た。と言うよりは、招き入れられた気もする。黎は「決着をつける」と言った。  なにがどう絡まって黎が前嶋に命を狙われているのかわからないが、とにかく今は黎を見つけることが先決だった。  壁づたいに廊下を進み、馨は行き止まりに当たった。手のひらを当てて何度か叩いてみても、向こう側に何があるのかはわからなかった。  その時、背後から再び足音が聞こえてきた。 (まずい!)  もう隠れられる場所はない。馨は壁に背中をつけて大きく息を吐き出した。角を曲がって姿を現したのは、グレーのフーディーを深く被った、華奢な少年だった。 (前嶋?!)  腕力ならひといきに組み伏せられるが、swichの前嶋の底力は計り知れない。ここまでか。身構える馨にコツコツと靴の音を響かせながら近づいてきた少年は、おもむろにフードを脱いだ。  その顔に馨は息を飲んだ。大きな目と長い睫、おびえた表情。 「・・・・・・と・・・灯馬?!」 「馨!!」  (みさき)灯馬(とうま)。手がかりを持つ唯一の男。やはりここにいた。  灯馬は馨に抱きついて来た。その身体は細く、かつてランドオブライトにいた頃の灯馬とは別人のようだった。 「灯馬・・・お前、やっぱりここにいたんだな」 「話はあとだよ、隠れなきゃ!こっちに来て!」  灯馬は馨の腕を引っ張り、もと来た道を走り出した。途中、馨は気づかなかった場所にドアがあった。そこを開け、さらに右に左に曲がり、灯馬はある小さな部屋に馨を匿った。どこをどうやってここに来たのかは、馨には覚えていられないほど、そこへの順路は入り組んでいた。 「ここまで来れば大丈夫、この部屋は監視カメラが機能してないから・・・・・」 「灯馬・・・」 「馨、ひとりでここに来たの?」
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