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盟主との面会を終えた(かおる)は、全身の倦怠感に苛まれ、準備部屋から出されたというのに、ベッドに倒れ込み、数時間は起きあがることが出来なかった。 そういえば昨日、(みさき)が「待ってる」と言っていた。準備部屋を出たのだからこちらから彼に会いに行けばいい、と思うのだが、いかんせん身体が動かなかった。 盟主とやらは、一体何者だろうか。 「心配するな」とはどういうことなのだろう。潜入捜査員だと解っていて、なぜ泳がされるのか。そして今夜、何があるのか。 盟主自ら始末するつもりなのか。こんな新人ひとりに自ら手を下すだろうか?潜入一週間であっけなく殺されてしまうのか。 考えがまとまらない。瞼が重くなる。 (先に入っている捜査員は、どんな人なんですか) 馨は眠りに落ちる寸前に、ここに来る直前に上司と交わした会話を思い出していた。 (相当なやり手だ。これまでも何度か彼のおかげで内部に突入しているが、あと一歩というところで「教祖」の逮捕までたどり着けなかった。あいつらはその都度教祖を変えて、警察の目を騙し続けているんだ) (じゃあ、今の代表もダミーということですか) (おそらくな。真の教祖はそいつに隠れてあの組織を牛耳っているんだろう) (潜入捜査員は無事なんですか) (今のところは。だが、入ってずいぶん時間が経っている。お前が行くことも伝えてある。協力して検挙に導いてくれ。そうすれば彼も、お前も戻ってこられる。捜査員の名前は・・・) もしそれが本当だとしたら、あの盟主もダミーなのか。 いや。 あのグレアは本物だ。 あんな強いグレア、滅多にお目にかかれるものじゃない。闇の組織を統べるには相応しい強さだった。 では、一体捜査員はどこで何をしているのか。まさか、警察が把握していないだけで、すでに始末されているのではないのか? 馨は必死に睡魔に抗がったが、不安の中、眠りに落ちた。 (高月) 頭の中に響く声。 最初は夢かと思った。しかし意識の深いところまで届いた声は、馨をあっという間に覚醒させた。瞼を開けると、あたりはすっかり暗くなっていた。 (高月) もう一度聞こえた。 身体を起こして、隣のベッドを見る。まだ話したこともない同室者は布団を頭まで被って眠っていて馨が起きたことに気づいていない。やはりこの声は馨の頭にだけ直接聞こえているらしい。 静かに起き出し、部屋のドアを開ける。廊下は静まりかえり、赤い足下灯だけが不気味に光っている。 準備部屋で寝ているときは、見回りの足音が一時間置きに聞こえていたのだが、今はその様子もない。 馨は何故か、足が勝手に動くのを感じた。自分でもどこに向かっているのか解らないまま、気が付くと中庭に続くドアを開けていた。 外灯がついていて、真夜中でも庭は明るい。虫が寄ってきそうなものだが、何故か一匹も見あたらない。虫すらもここに入るには承認制なのかと皮肉に思う。 と、ベンチに誰かが座っていることに気が付いた。 「来たか」 盟主だ。 外灯に照らされ、着物の金糸の縫い取りが輝いている。彼はゆっくり立ち上がると、首だけで振り向いて馨を見た。長くまっすぐな髪が、夜風に揺れる。 何故か今は、あの強力なグレアを感じない。殺されるわけではなさそうだ。馨は盟主に駆け寄り、真北がするように身体を折って礼をした。 何をされるかわからないのだから、ここのやり方にのっとるべきだと考えた。 「顔を上げろ」 今回は直接会話をするつもりのようだ。馨はゆっくり顔を上げた。 あの部屋で出会った盟主とは、雰囲気が違って見えた。神々しく、絶対的な力がみなぎっていた姿ではなく、ひとりの「男」に見えた。 「盟主・・・」 「・・・高坏(たかつき)(かおる)巡査長」 「!」 馨の足が凍り付いた。階級まで知られている。 「敵じゃない」 「・・・・・・ま・・・さか・・・」 盟主はおもむろに、右手で自分の髪の毛先を下に引いた。 長い髪はウイッグだった。続けて着物の紐を解き、はらりと脱ぎ捨てる。中は黒のTシャツとデニムで、その体躯から、鍛え抜かれているのが見て取れる。長い髪と着物で中性的に見えていた表情は一変し、精悍な顔つきに変化した。 本来の姿になった盟主は、まるで別人だった。 そう、それは「警察官」の顔だったのだ。 「あなたは・・・」 「・・・・・・潜入捜査員の蓮見(はすみ)だ」 「蓮見警部・・・?!」 上司から聞いていた名前だった。潜入前の写真は見せられたが、ずいぶんと様変わりしている。 ひとまわり痩せているが、よくよく見れば確かに蓮見警部そのひとだった。 「警察手帳がないから証明できないが」 「いえっ・・・わかります!」 馨は自然に敬礼していた。それを手で制して蓮見は言った。 「誰もいないとはいえ、ここでするべきじゃない」 「あっ・・・」 「グレアでコントロールしていなければ、あっという間に始末されているぞ」 「・・・・・・申し訳ありません」 「まあ、いい。驚くのも無理はない」 「蓮見警部が・・・なぜ盟主に・・・」 「・・・話すと長くなる。取り急ぎ今お前に伝えなきゃならないことは、もちろん俺はダミーで、本当の盟主は他にいるということだ」 「はい」 「俺がこの位置に据えられているのは、グレアの強さだけが理由だ。・・・俺の前のダミーは、グレアがそこまで強くなかったらしい。今は・・・どうしているかわからない」 「・・・・・・」 「わかっているだろうが、ここにはグレアの強い者たちばかりが集められている。誰かが暴走しても強制的に抑えられる力がなければダミーとして機能しない。機能しないと判断されると、本当の盟主に始末される」 「本当の盟主は影で操っていると・・・」 「そうだ。検挙逃れのためだろう。俺はこの位置にいることを利用して調べを進めているが、おそらく本当の盟主はそれすら解っている」 「え・・・っ・・・」 「泳がされているということだ。だが、必ず活路は見いだしてみせる」 「自分はまず何をすれば・・・」 「・・・今、本当の盟主が誰なのかをお前に伝えるわけにはいかない。新人のお前の立場では簡単にひねりつぶされる。まず、俺の近くまで、一日でも早く上がってこい」 「は・・・はい」 「それから、お前のグレアは規格外に強い。それを出来るだけ周りに悟られるな」 「わかりました」 「・・・そろそろ限界だな」 蓮見はつと、中庭から見られる枠にはまった夜空を見上げた。 つい先ほどまで星が見えていたはずなのに、いつのまにか「もや」がかかっている。 蓮見は上を見上げたままつぶやいた。 「盟主が目を覚ましたかもしれない」 「え・・・」 「俺の力じゃこれが限界だ」 「あの・・・それはどういう・・・」 岬が言っていた、盟主のコントロールで守られている、ということが、馨には今一つ解っていなかった。 蓮見は抑揚のない口調で説明した。 「Dom同士で対峙すると、弱い者が失神したり脱力したりするだろう。それの応用だ。ここにいる者達のグレアを不活性化している」 「そんなことができるんですか」 「まあな。ここに来るまで、誰にも合わなかっただろう?」 「そういえば・・・」 「ある意味、今この施設の中で目を覚ましているのは、俺とお前と・・・おそらく盟主だ」 「盟主が・・・」 「部屋に戻れ。完全に覚醒されたら俺にも守りきれない」 「は・・・はい」 馨は不気味な「もや」を見上げ、背中が泡立つのを感じた。 蓮見の強いグレアを持ってしてもかなわない相手。馨はこの夜、これから対峙する本当の盟主が、とてつもない力を持っているのだということを知った。 (高坏(たかつき)) 中庭から施設に戻ろうとした馨の頭に、蓮見の声が響いた。 馨は振り返った。 蓮見はじっと馨を見つめたまま、直接頭の中に呼かけた。 ((れい)だ) (れい・・・?) (俺の名前だ。覚えておけ) (?・・・・・・はい) いつのまにか馨は、声を出さず蓮見と会話することが出来るようになっていた。
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