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「真北」  夜が明けきらない暗いうちに部屋を出てきた晴臣(はるおみ)は、女性の声に振り向いた。江戸紫の着物を独特に着崩した、化粧気のないその女は、五十代と見えるが歳よりも若く見える。その瞳には何とも言えない仄暗さがある。壁にしなだれかかるその女は、襟元を開いたワイシャツとスラックス姿の晴臣を上から下までなめ回すように見ると、酒で潰れた声で言った。 「望未(のぞみ)の部屋から出てきたわね」 「・・・・・・・」 「どう?あの子は」 「どう、とは」 「相性よ。望未はあんたぐらいじゃないと無理でしょ?さすがに少し顔色が悪いみたいだけど」 「平気です」 「・・・忠犬ねえ」 「失礼します」 「待ちなさい。聞きたいことがあって来たのよ」 「・・・・・・?」 「捕まえたっていう男に会いたいんだけど」 「それを誰からお聞きになったんです」 「誰だってかまわないでしょ。どこにいるの?」 「・・・会ってどうなさるんですか」 「見てみたいだけよ」 「そのうちにごらんになれます。今はまだ・・・目を覚ましていないので」 「別に寝ててもかまわないわよ」 「・・・申し訳ありません、ご遠慮ください」  女は鼻でふふん、と笑った。 「偉くなったもんね、真北。このあたしにそんな口をきくなんて」 「・・・・・・」 「まあいいわ」  女は大袈裟に抜いた衿をさらに抜き直し、くるりと晴臣に背を向けた。うなじの肌は年相応の劣化が見えるものの、何とも言えない色気がある。千鳥足で女は廊下を戻って行った。  晴臣は小さく息を吐いて、彼女と反対側に歩き出した。   白いドアを開け、晴臣はとある部屋の中に入った。そこは、ランドオブライトの「盟主」の部屋に、よく似た造りだった。  壁にはめ込まれた大型テレビ、革張りのソファとガラステーブル、床から天井まで届く大きな窓、毛足の長い深いブルーの絨毯など、よく知る者なら覚えのある内装。その奥にカーテンで仕切られた空間があり、セミダブルのベッドがある。そこには静かに寝息を立てて眠る蓮見黎がいた。  彼の顔にはいくつかの擦り傷があった。晴臣はベッドに腰を下ろし、黎の顔を見下ろした。 「蓮見さん・・・・・・」    額にかかった前髪を避けても、黎は反応を示さない。 「どうして乗り込んでなんて来たんです。・・・ここではあなたを守り切れません」  晴臣の独り言にも当然反応はない。立ち上がった晴臣は開いたままだったワイシャツの一番上のボタンを閉めると、黎から離れた。 「真北さん」  いつのまにか、部屋の入口に一人の男が立っていて、軽く頭を下げた状態で晴臣を呼んだ。 「・・・いつからそこにいた」 「たった今です。望未さまが目を覚まされ、真北さんを呼んでおられます」 「・・・・・・今行くと伝えろ」 「はい」  男が背を向けてドアを閉めるのを確認し、晴臣は大きなため息を吐いた。 (高坏・・・・・・どこにいる?早く来い)
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