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 (れい)が目を覚ましたのは、山中で襲われてから丸二日経った頃だった。ただ殴られただけではなく、ダイナミクスに特化して作られた鎮静剤を注射されたからであった。その薬には若干の副作用もあり、気がついた黎の頭の中は、もやがかかったようにぼんやりとしていた。 「目が覚めましたか」 「・・・・・・」  ベッドサイドから聞こえる優しい声に、黎は目だけを動かした。見覚えのある顔。服装こそ違うが、間違いはなかった。 「真北・・・?」 「はい」 信じられないと言った具合に瞬きを繰り返す黎の額を、晴臣(はるおみ)はそっと押さえた。 「熱は引きましたね」 「ここは・・・・・・」 「寝室です。体調を崩されて」 「寝室・・・・・・体調?」 「はい。執務室で倒れられたのですよ」 「執務・・・室?」 「覚えていらっしゃいませんか。四十度も熱が出たのですから仕方ありませんね」  晴臣は黎の背中に手を当て、上半身を起きあがらせた。黎が着せられていたのはランドオブライトで着ていたものと全く同じデザインのガウンだった。 「水をどうぞ」  切り子のグラスにも見覚えがある。冷たい水を喉に流し込むと、晴臣が微笑んで黎の顔をのぞき込んだ。 「まだ本調子ではないでしょう。もう少しお休みになられてはいかがです」 「・・・真北」 「なんでしょう」 「・・・本当に俺は・・・熱を出したのか」 「はい」 「頭が痛い・・・・・・ぼんやりして、整理できない」 「倒れたときに頭を打たれたので・・・脳波も調べてありますが、異常はないそうです」 「よく覚えていないのはそのせいか?」 「だと思われます。執務に関しては私が振り分けますので、安心してお休みください」 「・・・・・・」  晴臣は黎に向かって頭を下げると、仕切りのためのカーテンをぐるりと閉めた。黎は晴臣が部屋を出て行くまで、何も言わなかった。  その部屋は、山肌に張り付くような居住棟の中心に伸びる細い塔の最上階にあった。  「真北さん」  塔を降りてきた晴臣に、ある職員が声をかけた。 「・・・何だ」 「すみません、侵入者のことでお耳に入れたいことが・・・」  職員の男は、つと晴臣に近づき小声で何かを伝えた。晴臣はその内容に、片眉だけを動かした。 「それは本当か」 「はい。一晩誰にも見つからずにいられるには、誰かの協力なしでは・・・」 「わかった。俺が確認しておく」 「かしこまりました。それから」 「まだあるのか」 「望未さまが・・・」  職員は言葉を濁し、気まずそうに後ろを振り返った。会話が聞こえる距離ではないが、三メートルほどはなれたところに微笑んで佇む望未がいた。 「晴臣」  望未は甘ったるい声を出した。晴臣はごくごく小さなため息をついた。職員を睨むと、望未に聞こえないボリュームでこう言った。 「・・・ここには通すなと言ったはずだが」 「も・・・申し訳ありません、どうしてもとおっしゃって・・・」  よく見れば、この職員の手が小刻みに震えている。脅されたことは一目瞭然だった。下がっていい、と男に言い渡すと、晴臣はあえてゆったりと望未に近づいた。 「こちらへはご遠慮くださいと常々・・・」 「侵入者に会いたい」  全くどいつもこいつも、と心で毒づき、晴臣は首を横に振った。 「望未さんが気になさるようなことではありません」 「隠したって解ってるよ。あの人でしょ」 「・・・・・・でしたらわざわざ会う必要もないでしょう」  望未は身じろぎもせず晴臣の瞳をじっと見つめた。   「晴臣、解ってるよね?」 「・・・・・・」 「僕はいいんだけど、別に。日本中に散ったランドオブライトの残党ひとりひとりに、ここの人間を送ったっていいんだ」 「望未さん!」 「晴臣がここにいる意味がなくなれば、僕はそうせざるを得ないけど」 「・・・わかりました。ですがまだ眠っていますので・・・」 「かまわないよ」  可愛らしい笑顔を急に消すと、望未は晴臣の胸をぞんざいに押すと、黎の眠る部屋のドアの前に立った。わざとらしい音を立てて望未は中に入り、ずかずかとベッドに歩み寄った。  ぐるりと囲むカーテンを乱暴に開いても、眠る黎は目を覚ますことはなかった。 「・・・・・・こんな顔だったっけ」  望未は眠る黎の顔をのぞき込んだ。背後から、緊張感をみなぎらせて晴臣が言った。 「望未さん」 「わかってるってば」  ふふん、と鼻で笑い、望未はベッドを離れようと踵を返した。が。 「・・・えっ・・・?」  そのありえない状況に、すぐそばにいた晴臣すら反応が遅れた。  眠っていた黎の目がカッと開いて、望未の手首を掴んでいた。望未本人も何が起きたのか理解できておらず、固まっていた。 「・・・ま・・・えじま・・・っ・・・」  かすれた声で黎は望未を睨み上げ、ぎりぎりと手首を締め付けた。今の今まで眠っていたとは思えない。 「は・・・はなせっ!!」  望未は思わず大声を上げ、黎の手をふりほどいた。その衝撃で黎の腕はばたんとベッドマットの脇に打ち付けられた。望未は手首を押さえ、数歩後ずさった。黎は再び目を閉じ、今の出来事がまるで幻だったかのように眠っている。 「・・・・・・何だ、こいつ・・・っ・・・」  望未は自分の右手首についた黎の指の痕を見て呟いた。そして晴臣を睨むと強い口調で言い捨てた。 「もういい。・・・もう一度目が覚めたら教えろ」 「・・・はい」  不機嫌に部屋を出て行った望未の足音が完全に聞こえなくなってから、晴臣は黎の眠るベッドに腰を降ろした。 「・・・大した人だ、あなたは・・・」  黎は晴臣の言葉も聞こえていないように、静かに眠り続けた。
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