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「あんたのお兄さんのこと・・・知ってるわ、真北」  目を覚ましていた弓衣は顔だけを黎と晴臣に向けてそう言った。思わず身構え、二人は同時に立ち上がった。弓衣は無表情に話を続けた。 「そんな顔しなくたって、もう刺したりしないわよ。しないっていうか・・・できないわ」 「弓衣さん」 「起こしてくれない?そうしたら話すわ」  黎が一歩踏みだそうとしたのを、晴臣が制した。 「蓮見さん・・・危険です」 「・・・もう大丈夫だろう。彼女からグレアは感じない」  黎の言うとおり、弓衣からは殺気もグレアも消え失せ、憑き物が落ちたようにすっきりしていた。果物ナイフを切りつけてきた時とは打って変わって、晴臣をまっすぐな瞳で見つめ返す。黎は続けた。 「それに・・・お兄さんのことを知っているというのだから、聞こう」 「本当かどうか・・・」 「今彼女が嘘をついて何のメリットがある?」 「・・・・・」  弓衣は晴臣から黎に視線を移した。そして笑った。 「そのとおりよ。騙したってあたしに何の得もないわ」 「・・・わかりました」  晴臣はベッドに近づき、弓衣の上半身を支えた。むせこみながら身体を起こした弓衣は、背中に置かれた枕にもたれ掛かって二人の顔を交互に見た。黎が水のペットボトルを冷蔵庫から出し、キャップを開けて弓衣に差し出す。受け取った弓衣は両手でボトルを持ち、ゆっくりと水を喉に流し込んだ。 「・・・・・・真北聡介」  弓衣はまず、晴臣の兄の名前をつぶやいた。 「会ったのはずいぶん前よ。若い警察官で・・・なんて言うの?スパイみたいな・・・」 「潜入捜査員」 「そう、それだった。何が原因なのか知らないけど、身分がバレてここに送られて来たのよ」  真北聡介は、地下の個室に閉じこめられ、そこではまるで拘置所のように厳しい警備が二十四時間体制で付いていた。 「当時はずいぶんと時代錯誤なことをしてたわね・・・いわゆる拷問みたいなことよ。口を割らなかったらしくて、日に日に痩せていったわ」  捕らえられた聡介に最初に興味を持ったのは、まだ幼かった望未だった。大人の制止を振り切っては毎日のように捕らえられた聡介を見に地下を訪れた。 「・・・あの子はおかしな子だった」  弓衣は他人の子のように、当時の望未の様子を話した。 「格子の向こうで怖い顔をしている聡介に怯えもしないで、毎日通ってはいろんなことを聞いていたわ」 「聞く?」 「名前、年齢、どうしてここに来たのか・・・興味のあることならなんでも。そのうちに自分から、今日こんなことがあったとか、聞いてほしい話があると、一方的に聞かせてたわ」 「・・・・・・」 「それからそうね、遊びたがってた」 「・・・遊ぶ?」 「望未はグレアを持て余していて・・・同世代の子供では危険すぎて、周りは大人ばかりだったの。ちやほやされることはあっても、本気で遊ぶ相手はいなかった・・・」    聡介はダイナミクスではなかったので、望未のグレアが効かない。望未はそれが楽しかった。周りの大人たちは凶暴なグレアを持つ望未に媚びへつらうばかりで、彼には退屈だった。ひとたび望未が不機嫌になると、そのグレアで痛めつけられるのが怖いからだった。  聡介は当然望未に気を遣うこともなく、その反応が彼には新鮮だった。 「望未は新しいおもちゃを見つけたみたいに、毎日聡介に会いに行って、どんなに冷たくあしらわれても楽しそうに話しかけてたわ。もう・・・他の大人にはなんの興味も示さなくなった」  そのうちに望未は部屋にあるもの、椅子や木の文机などに自分のグレアをぶつけ、物を壊して遊びはじめた。壊れた破片が聡介を傷つけ、その行動に対して聡介は望未を強く責めた。 「ずっと相手にしてくれなかった真北聡介が、自分を怒ってくれたことが嬉しかったのね・・・望未は聡介を自分専用の側近にしたがった」  潜入捜査員を側近に、という要求が通るはずはなく、そのたびに望未は荒れ、周りの人間たちはグレアに翻弄された。  黙って聞いていた晴臣が口を開いた。 「弓衣さん、前嶋望未は・・・兄の何が気に入ったんです?」  弓衣は当時を思い出すような表情をした。依然として自分の息子の話をしているようには見えない。まるで他人事だ。 「・・・きっと・・・初恋だったんだと思うわ」 「え・・・・・・?」 「聡介とは年齢はかなり離れていたけど・・・もともと女性に興味を持たない子だったの。母親にも・・・あまり懐かなかった」  弓衣は自分のことを「母親」と言った。特段悲しげでもなく、本当に記憶がない、といった風だ。  望未は聡介に異常な執着をみせた。しかし子供の言うことと、聡介も、周りの人間たちもあまり取り合わなかった。それが急転したのは、ある出来事だった。 「聡介が行方不明になって、それから望未の様子が変わったわ」 「行方・・・不明?」  鍵が壊され、おびただしい量の血痕が残った部屋から、聡介の姿だけが忽然と消えた。警備が厳しかったにも関わらず、誰も聡介が逃げ出した瞬間を見ていなかった。当時は内通者の仕業だと疑われたが、結局聡介も手を貸した者も見つからなかったという。 「その後、兄は・・・」 「もちろん戻っては来なかったわ。でも遺体が見つかることもなかった・・・」  この施設は山中にあり、一方は海に面した断崖絶壁。うまく逃げ出せても山の中で捕まるか、海に転落する可能性が高い。一年以上をかけて聡介の行方を負ったが、どちらからも見つからなかった。  静かに唇を噛んだ晴臣の背中に、黎は手を添えた。話の流れからしても、聡介がまだ生きているとはやはり考えづらい。 「だからあんたがここに連れてこられた時は、聡介が戻ってきたのかと思ったわ」  晴臣は若い頃の聡介によく似ていた。望未はランドオブライトで晴臣に初めて会ったときから、聡介の面影を重ねていたに違いなかった。  黙ってしまった晴臣の代わりに、黎が言った。 「あんたは望未の母親なんだろう」 「・・・・・・」 「母親なら、あいつを止められないのか。真北の兄さんのことも・・・知っていて見て見ぬ振りをしてたんじゃないのか?」 「・・・・・・・・・」 「今回のことも、あんたは高みの見物か?」 「・・・あたしは・・・」  急に弓衣の顔色が変わった。晴臣が言葉を継いだ。 「弓衣さん、本当に覚えていないのですか」  晴臣の厳しい声音に弓衣の方がびくついた。 「望未さんはあなたの末の息子でしょう。それだけ彼の幼い頃の記憶が残っていて、産んだことを覚えていないなんてありえない」  弓衣は晴臣の鋭い視線から逃げるように顔を背けた。そして両手で顔を覆った。小刻みに肩を震わせ、泣きはじめた。  黎と晴臣は動かず、ただ弓衣が本当のことを話し始めるのをじっと待っていた。  しばらくして、顔を覆っていた手を降ろすと弓衣は言った。涙が頬から口元までを濡らしていた。 「・・・そうよ・・・覚えてるわ。あの子は確かにあたしが産んだ・・・不本意にね」   前嶋望未は、弓衣がSwichであることを知り凶暴化したDomの男により、出来た子供だった。  しかし夫である「光の環」の教祖前嶋裕は弓衣を責めず、望未を「実子」として育てることを決めた。それは望未の持つ、強すぎるグレアを利用するためだった。
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