思い出は苦しみと共に

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「じゃあ、また明日ね」 君はそう言って、僕に小さく手を振る 「うん、また明日」 小さく手を振り返した僕は、君が 遠くに消えるまで、君の背中を見続ける "明日"は来るはずなんだけど 僕と君との"明日"は、きっとまた来ないんだろうな 西から降り注ぐ夕陽の光は 僕と君との境目を作り出す ――― それが起きたのは、ちょうど半年前だった 君は突然、1ヶ月間の記憶が消えた 僕が君に告白した日から、1ヶ月 君と僕が付き合った日から、1ヶ月 一種の記憶障害らしいが、未だに原因は分かっていない そもそも、君は記憶をなくしたことも知らない だから僕は、1ヶ月が経つ度に、君と僕は付き合っているんだということを教える そして君はその度に 「1ヶ月前の私、良い人見つけるじゃん!」 と、僕にとっては嬉しいことを言ってくれる ——ただ 一緒に映画を見たことも 買い物で君に振り回されたことも 家で他愛もない話をしたことも その1ヶ月間の記憶は全て、0になる 何も無かったことになる 買ってあげた服を見ても 君は、何も思い出せない 辛くないと言えば、嘘になる でも君は 「1ヶ月しかないんだから、思う存分、楽しまないといけないでしょ?」 と言って、まるで悲しむ様子なんて見せない そりゃそうだよな 君は記憶が消えるから また1ヶ月後、0から僕と付き合えばいい 今の記憶が消えたとしても また新たに、楽しい記憶を作れるから 悲しいことなんて、何も無い 僕は半年付き合っているはずなのに 君はまだ、1ヶ月しか付き合っていない 僕と君との想いは 1ヶ月ごとに、ズレていく 気が付くと、夕陽は沈んでいて 君の姿は、もう既に見えなくなっていた 薄暗い街並みが 僕と君との、1ヶ月の終わりを告げる ――― 君が亡くなったという報告を受けたのは あれから1週間後のことだった 僕と君が最後に会ったあの日 自宅で手首を切って死んでいたところを、昨日発見されたらしい 自殺だった 最愛の彼女を失ったはずの僕は なぜか、涙が出なかった 君にとって今の僕は、"赤の他人"でしかなかったからだろう そんな僕を、周りは冷たい目で見ていた —薄情な奴だな —浮気でもしてたんじゃないの? そんな声も聞こえてくる お前らに、僕の何が分かるって言うんだ 彼女の記憶が消えるなんて、体験したことも無いくせに 居心地が悪くなった僕は、逃げるように教室を出た 家に帰ると、1通の手紙が届いていた 君からだった 持っていた鞄を投げ捨て、破るように封を開ける なぜ今君から手紙が届いたのか そんなことは考えもせずに ただ今は、君の存在を感じたくて仕方がなかった やっとの思いで開けた手紙には 丸っこいけど、すごく綺麗な 大好きな君の文字があった ――何も言わずに自殺しちゃったこと、許してください。君を悲しませたくなくて、明るく振る舞ってたつもりだったんだけど、それももう、限界が来ちゃった。 本当はね、私も辛かったんだ。 君と過ごす1ヶ月って、本当に幸せで、楽しくて、ずっとこの時間が続けば良いのにって思ってた。 でもそれは叶わなくって 明日になれば、その記憶が消えちゃう。 その日までは分かってても、明日になれば、記憶が消えたことも知らない。 君はきっと、私の何百倍も辛かったはずなのに、他の人に気が移ることもなく、ずっと私のことを想ってくれた。 嬉しかった。幸せだった。 だからこそ、君にはちゃんと幸せになって欲しい。 記憶が消えちゃう私なんかよりも、記憶を大事にしてくれる人と結ばれて欲しい。 でも君は、私がいる限りはきっと私を選んでくれるから。 私は、いなくなるしかないの。 君を、1番好きでいられる日に 私はちゃんと、旅立つから どうか、幸せになってね 。 ―――大好きだよ。 最後の1文が、僕の涙で滲む 嗚咽のような僕の泣き声が、部屋一面に鳴り響く 言葉にならない想いが 僕の胸を締め付ける
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