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    「恋」   人間所詮は生き物だから、他の動物達の様に女を狙う。   けれど、人間と他の動物との違いは、人間は恋をすると言う事だ。   恋という知性が故の煩わしき衝動に、   芥川龍之介は、「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。   少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。」   そう結論を出した。   僕はこの言葉を昔聞き、違和感と崩せない事実の様な、   歯痒さを感じた。   恋。それはいつまでも人間にとっての課題である。   この世界で勇逸時代を、一切と感じさせない歌詞を書くには、   恋愛的な物である必要がある様に思う。   それ以外のものを捻り出すのは難しい事だろう。   僕は近頃、人を愛することに疲れてしまっている。   男が何を。そう言う人がいる、   男なら…。そう言う人がいる。   けれど、そう言う人々に僕は言いたい、   恋に悩まずして、女性に気を遣わずして   何が人間ぞと言いたい。   男だから悩むんだ。   凛々しく、許容深く、優しさを持ち大切な人を抱擁する。   そんな夢想でできた鏡で自身を見つめた時に   なんと私は頼りない男なのだろうと、   絶望を感じるのだ。   こんな事ならと、鏡も割ってしまい自分さえ消し去りたい。   でもそんな自分に浮かぶは、やはり彼女なのだ。   死にたくても死ねない、地獄のようで天国のような   このあやふやな地に、またしても私はただ蹲ることしかできないのだ。   そんな自分に、優しい細くも強い歌声が響く。   「愛する事に疲れたみたい、嫌いになった訳じゃない」   そう失恋歌が包む様に私に勇気をくれる。   何とも矛盾の感じる話だ。   私は明日彼女に伝えるとする、   不満でこそないが溜め込んで晴らせないくだの一つでも手に取り   彼女に優しく棘を刺したい。   愛すると言うことは気が合い、   お互いが許し合える様なものじゃない。   愛するとは共に生き、進もうと精進する事だと思う。   わかり合えなくて当たり前で、   どちらかが独りになることがあって当たり前なのだ。   そんな時でも、憎めず、思い出しては自分を責める様な。   そんな臆病者の物語こそが恋愛なのである。      
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