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鬱積
週末、陶芸家から聞き出した小夜の住む家に向かった。
いつも二人でデートの帰りに使っていた分かれ道になるところから歩いてみた。
寂れた商店街を抜け、そのまま通り沿いに歩いていく。
等間隔にバス停があり、住んでいる人しか使わないであろう路線バスが通っている。
しばらく歩くと大きな通りに出た。
大通りに沿って更に進む。
車でしか行くことのないファミレスやコンビニがぽつぽつとあり、何頭か低層マンションが軒を連ねている。
ナビを見るとこの並んでいるマンションのどれかのようだ。
徐々に近づくにつれ、緊張で胸が高鳴る。
1ヶ月音信不通だったのだから、いざ会ったら向こうは気まずいだろう。
気まずくさせないように、このストーカーまがいの話を伝えて先に謝ろう、などと考えながら、遂に小夜の住むマンションの目の前にきた。
オートロック式のエントランスで部屋の号室を確認する。番号を入力してから、インターホンを鳴らす勇気が出ない。
エラーの表示が出て、再度入力する。意を決して、インターホンを鳴らした。
呼び鈴は途切れることなく鳴り響き、遂には静かになった。
一度鳴らしてしまえば、2回3回も関係ない。
もう一度鳴らしてみた。
やはり反応はない。
出かけているのかもしれない。
携帯が水没してデータが飛んでしまったという線も十分にあり得たので、電話番号とメールアドレスを書いて、ポストに入れた。
昼過ぎだったので、時間を改めようと街に戻ることにした。
駅前まで戻るときに、改めてどのくらいかかるのかを測った。
駅と家とは40分以上もかかる距離だと知り、毎回気を遣わせていたことを恥じた。
同時に、信用に足る行動や関係を築けていなかった事がショックだった。
身よりもなく、独りで生きてきた彼女の他人に対する心はきっと自分の想像では及ばないほどに複雑なのだろう。
駅前に戻り、二人でよく行った喫茶店でランチを済ませる。
いつも頼んでいたナポリタンも無味無臭に感じた。鮮やかな橙色の麺も、橙色を引き立てる青いピーマンも、食感を楽しむための玉ねぎも口に入れたところで味も香りも感じられなかった。
プツプツと切れる麺の感触と油の舌触り、シャクシャクと頭蓋骨の中で響く咀嚼音。
あんなに好きだった味も、心のバランスが少し崩れただけで、ただの背景になってしまう。
ここ1ヶ月は、食事自体が動くために胃に物を入れる作業でしかなくなっていた。
食事がひどく退屈に感じた。
テーブルを濡らすアイスコーヒーのグラスが静かにカランと音を立てる。
周りの席ではやたらとカップルが目についた。
何気ない1日を過ごしている他人が羨ましかった。
食事を済ませ、情報をまとめる。
過去の会話ややり取りになにかヒントがないか、水の中に落としたインクを掴むような心持ちだった。
まずは知っている情報を書き出す。
・栃木県出身
・幼少期に施設に入る
・よく動物園に行っていた
・歯科衛生士の資格を取り上京
・人の口の中を見るのが嫌で退職
・化粧品が好きだという理由で美容部員に転職
・住んでいる家の場所
ノートパソコンを開き、検索をする。
栃木県にある児童養護施設、動物園、学校を調べ、リストアップする。
とはいえ、人生の大半を東京で過ごしていて、東京の情報はない。
特に進展もなく、辺りも暗くなってきたので、店を出ることにした。
何口かアイスコーヒーに手を付け、水にふやけた伝票を取る。
何も進まない状況を変えるように、せめて行動だけでも起こそうと
トレイに伝票と小銭を置き、重いガラスの扉を肘で開けた。
今できることは唯一の手がかりである家にしかない。
改めて家を訪ねることにした。
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