転遷

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転遷

小夜と交際を始め、気づいたことがある。 デートの帰りに最寄り駅までは送っても、家の前まで送ることはないのだ。 何度か家の前まで送ると伝えたことがあったが、こちらが食い下がっても 「帰りにコンビニ寄って行きたいから」とか 「もう目の前だから大丈夫」とか そんな言葉で片付けられた。 私もそこまで深く考えてはいなかった。 そりゃ家を知られるのは後々を考えると面倒だよな。と少し冷めたような考え方をしていたので、あまり気にしないようにしていたのかもしれない。 それからも交際は続いていき、順調に続いているかのように思えた。 喫茶店でお茶をしていたある日、 「本当に私なんかでいいのかな」 小夜が思い出したように呟いた。 最初はなんのことかわからなかったが、幸せなことに対する宛のない罪悪感のようなものだと理解した。 「小夜がいいんだよ」 私は精一杯、小夜の気持ちに答えようと言葉を紡いだ。 小夜は、まだ晴れない表情を浮かべ、ぽつりぽつりと話しだした。 「実は私ね、両親がいなくて……」 私の心配は見当違いだった。 話を聞いてみると、小夜の家庭環境は、なかなかに複雑だった。 小さい頃に親に捨てられたこと。 3つ上の姉がいること。 姉と2人、施設で育ったこと。 資格を取って上京したこと。 父親とは会うが、母親とは会っていないということ。 「こんな相手じゃ嫌だよね」 念を押すように小夜が言った。 素直に打ち明けてくれた事に感謝を伝えた。 小夜と生まれ育った環境は関係ない。 辛い経験をして今がある。だからこそ惹かれたんだと感じたままに伝えた。 「じゃあ、小夜は僕がシリアルキラーだと告白したら嫌いになるのかな」 「ならない」 「良からぬ宗教に陶酔していても?」 「ならない」 「家で全裸で天ぷらを揚げるスリルを楽しんでいても?」 「やめたほうがいいと思うけど嫌いにはならない」 曇った表情が徐々に和らいでいった。 最後のは本当だった。 小夜が時々見せる影のようなものを知った気がした。 大事にしなければと自分の中で強く決心した。 来月にでも実家に顔を出そう。 どんな環境で生まれ育っても、今の小夜を作り出したのだから、それは紛れもない軌跡だ。 過去を否定する事は辛い。 抱えたものを肯定されないと、心の中はいつまで経っても重たい雲が広がるばかりだ。 今を見て、過去を受け入れ、未来を描くことが生きるということだろう。 私は小夜の独白を聞き、これまで以上に仲が深まったように錯覚していた。 冬を迎えて、クリスマスの話をしていた日のこと、突然小夜からの連絡が途絶えた。 涼子にも隼人づてで連絡が取れないか確認をしてみると、同じように返事がない状態だという。 直前のやり取りで小夜は 「最近ちょっと体調が優れなくて、よくある事なんだけど、鼻血が出たり、熱が出たりするんだよね」 と零していた。 具合が悪くて寝込んでいるのだと知り、いても経ってもいられずに看病をしに行くと、申し出たが、 「移しちゃ悪いから」 と断られた。 無理をさせるのも良くないと自分に言い聞かせた。 特に違和感はなかった。 やり取りは自然だったと思う。 その時はただ、純粋に小夜の体調の事が心配だった。 連絡が途絶えて2週間が過ぎた。何度か電話をかけたが、出ることはなかった。 体調不良だとしても入院するくらいの重度なのではないか。 もしくは忙しくて、返事を返す気力もないのか。 色々とポジティブな妄想を繰り返す。 もしくは過去のやり取りで失言をしてはいないか、別れの予兆を見逃してはいないか、直前のやり取りから読み返す。 ーークリスマスはどこに行こうか。 プレゼントはどうする? そんななんてことのないやり取りばかりだ。 ネガティブな要素はなかった。 小夜は、都内のデパートで美容部員をやっているらしかった。 化粧品が好きだと言っていた。 シフト制だというので、以前スケジュールを共有してもらったことがある。明日は銀座店に出勤とあった。 ただの交際相手で、それも2週間足らずの音信不通で職場に行く、というのは気が引けたが、それでも二度と会えないよりはましだと言い聞かせた。 というより、体が勝手に動いてしまったという方が近い。 12月の頭、クリスマスムードの漂う街では、一足先に色とりどりのイルミネーションが一定の間隔で無機質に光っていた。 店頭に飾られている樅の木は、豪華に着飾って、来客を出迎える。 化粧品売り場なんて初めてきた。 合成香料の匂いが鼻腔を刺した。複数の香料と香水の香りが混ざり合い、人工的な"良い香り"が主張しあっている。 店内の照明やモデルの顔が大きくプリントされた販促広告。異世界の様な空間に目眩がしながらも、小夜の働くメーカーを探す。 店員は、みな当然のようにメイクをしていて、華やかだった。顔に様々な色を乗せて、1つの作品のように完成されていた。 とはいえ、流行り廃りのある世界で、ほとんどの人の顔の区別がつかないというのも事実だ。 この中から一人の女性を探すのは困難だ。 クリスマス間近ということもあって、売り場にはカップルが押し寄せていた。周りの流れに乗じて小夜の働く店舗の前まで来ることができた。 4名ほどのスタッフが忙しなく行ったり来たりしていた。 レジの横には、少し性格のキツそうな年長者がいた。その手前で品出しをしている20歳前後のスタッフがテキパキと働いている。 もう一人はバックヤードの方に早足で向かっていった。 最後の一人はカップルが席に座り、彼女がタッチアップを受けていた。 口に出すことはなかったが、プレゼントを探しているという体で店舗の中に入る。 今把握しているスタッフの中には小夜はいない。 「何かお探しですか?」 声をかけられ、緊張が走る。おかしな動きをすれば目立つだろう。 「ちょっと探しものを……」 自分でも目が泳いでいるのがわかる。 「あ、おっしゃって頂ければお探ししますよ」 20歳前後のスタッフだった。 比較的聞きやすそうだと思っていたので助かった。早速本題に入ろうと聞いてみた。 「実は人を探してまして……皆藤(かいとう)というスタッフさんいませんか」 「前にプレゼントの相談に乗ってもらって、彼女にすごく喜んでもらえたので、また相談に乗ってもらいたいなと思って」 自分でも不思議なほどにスラスラと台詞が出てきた。 急に名前だけ出しても怪しまれる。ただのストーカーかもしれない素性のしれない男に在籍の有無を答えるような世の中でもない。 どうにか自然にいるかいないかを確認できればそれで良かった。 「皆藤ですか?」 返答まで少し間があり、思い出そうとしている素振りだったが、少なくとも声をかけてくれたスタッフは、小夜の事は知らない様子だった。 「確認してまいりますので少々お待ちくださいませ」 そう言うとレジの方に向かい、恐らくこの店舗で一番権力のあろう女性に相談しているようだった。 再び若いスタッフが駆け足でやってくる。 今日はいなかったとしても、在籍の有無さえわかればひとまず生きていることは確認できる。 今日はそれだけで良かった。余り事を大きくしてしまうと小夜にも迷惑をかけてしまう。 淡い期待と安堵の気持ちを抑え、やってきたスタッフの言葉を待った。スタッフの発する言葉は、想像していなかった返答だった。 「申し訳ございません。皆藤というものは在籍しておりません。ほか店舗にもいないようなのですが……」
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