迎車

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 どうです、もう一杯?どうぞご遠慮なく、あれ、今日は随分と遠慮してらっしゃいますね。え?この間のパーティーでのこと?ああ、あの時は、結構酔っ払ってらっしゃいましたね。はあ……いや、あっはははは。何を仰いますやら。何とも思ってませんよ、っていうか、もうすっかり忘れてました、あははは。いやいや、お気になさらず。  最近は、こういうご時世ですから、なかなか人に会うのが難しくなりましたねえ。こうやって自宅にお客さんをお招きするのも珍しくなりました。はい?怪談収集への影響ですか?ああ、それはやっぱり有りますよねえ。まあ、何とかメールや、リモートなんかでやってますけどね。ああ、そう言えば最近、これは私自身の体験なんですけどね。ちょっと不思議なことがあったんですよ。じゃ、折角ですからご披露させて頂きましょうか。ええ、採れたてのほやほやです、はは。  もう、かれこれ一月位前のことでしょうか。  その日は仕事上の急なトラブルで遅くまで残業になってしまいました。うちの会社は、超のつくアナログでして、リモートワークなんて夢のまた夢ですよ、ふふ。で、何とか終電車には間に合いましたが、駅を降りた時には、もう、夜中の1時半を過ぎていました。駅から自宅までは歩いて20分くらいかかるんですが、バスはとっくに終わっています。タクシーに乗るのは勿体ないので、歩くことにしました。  10分も歩くと、駅前の繁華街も抜けて、住宅街に入ってきます。寝静まった民家に囲まれた周囲は、完璧に静まり返っていて、闇の中に自分の足音だけが、幽かに響いています。  自宅から200メートルほど手前に来た時、私の前方の闇の中に、何やら見慣れない灯りが浮かんでいるのを見かけました。近づくにつれて、それが、車のテールランプであることがわかりました。  とある民家の門の前に、一台の車が停まっています。闇の中、ポツンと光る小さなテールランプだけが、その場の唯一の灯りで、周囲が今一つよく見えませんでしたが、目をよく凝らしてみると、どうやらそれが真っ黒な車体のセダンで、それもかなり旧式の車であることが分かりました。たしか60年以上も前の当時の社会や風俗を記録した写真で見たことのあるような珍しいものでした。今時、よくこんなレアな車が走っているもんだ。こんな古い車をメンテナンス出来るなんて、余程金持ちのカーマニアが持っているんだろうなとか思ったのですが、案に相違して、その車が青ナンバーであることに気付きました。  トランクリッドの真ん中にぼんやりと浮かび上がる、4桁の数字を記した長方形は、どう見てもナンバープレートです。夜目にも白く浮かび上がる4桁の数字……0000。見たこともないナンバーでした。そして、闇の中で見づらかったのですが、それが緑色であることは何とか視認できました。黒塗りの営業車。屋根の上には何も見当たらないからハイヤーか?0000というナンバーも何やら変だし、そもそもこんな時間に迎車?少し妙な気がしました。  後方から車を眺めながら歩いていると、闇の中に突然「バタン」という音が響きました。車のドアを閉める音のように思えました。人が出入りするような動きは見えなかったのですが、それは単に暗くて見えなかっただけかもしれません……と、思って見ている間に、車は音も無く動き出しました。闇の中にぼうっと浮かび上がる0000という数字が見る見る遠ざかっていきます。30メートルほど直進すると、車は角を右折して視界から消えて行きました。  静寂が戻った住宅街を、家に向って歩いていきます。漸く家についた私は、リビングのソファーに崩れるように腰を落としました。今日も疲れた。あー、風呂に入るのも面倒くさいな。明日の朝、シャワーにしようかな、とか考えていると、ふと妙なことに気付いたのです。  さっきの車が曲がっていった角は、右に曲がると行き止まりなのです。ほんの20メートルも走ると、正面は民家になっていて、袋小路になっているのですが……あの車、どうしたんだろう。ここら辺の事情に不慣れな運転手だったのか。でも、乗客の方が分かっている筈だから、ここを右折しろとは言わないんじゃないかな……それとも、次にあの界隈の家に寄って誰かを乗せる予定だったのか。  まあいいや、他人様のことに気を揉んでもしょうがない。バックすれば出られるわけだしな。疲れていた私は、そのままソファーに寝転がったまま爆睡してしまいました。  翌朝は、自宅の近くの停留所からバスに乗って出勤しました。前日遅くまで残業したこともあり、その日は少し早く上がることにして、5時過ぎには駅に戻って来ました。  駅前のスーパーで食材とビールを買った後、気候も良いので、何となく今日も自宅まで歩く事にしました。のんびりと食材をぶらさげて歩いていると、一軒の家の前が何となく慌ただしい雰囲気です。妙に黒い人影がうろうろしてるなあと思ったら、喪服姿の人達が出たり入ったりしています。どうもお葬式のようです。家の真ん前に差し掛かると、果たして玄関に「忌」と記した紙が貼ってありました。  この家のどなたか亡くなったということか。親しい付き合いはありませんが、同じ町内なので名前くらいは知っていました。確か、年老いたお婆さんが息子夫婦と高校生くらいの男の子と暮らしている家だったような……  だが、何より気になったのは、その家が、昨夜、というかもう今日の未明でしたが、あの黒いハイヤーが停まっていた家だったということです。特徴ある門灯が印象に残っているから、間違いありません。深夜に誰か、多分高齢のお婆さんか、急病か何かで車を呼んだのだろうか。だが、普通そういう場合は救急車だろう。ハイヤーを呼んでどうするのだろうか。  しかも……そう、あの車は、そこの角を右に曲がって……念の為に自分の足で角を曲がって確かめてみました。やはり間違い有りませんでした。ここは袋小路になっているのです。前方20メートルくらいの正面に、はっきりと民家とその門が見えていました。ここから先はどこにも行きようがないのです。  静まり返った真夜中に、静かに袋小路の中に消えて行った、0000というナンバーを付けた、旧式の黒塗りの営業車……そして、その家から、翌日お葬式が出る……何となく不気味な気がしました。  それから、二日ほどした頃、その日は休みだったので朝から私は家にいました。ぼうっとテレビを眺めていると、呼び鈴が鳴りました。  出てみると、隣の奥さんでした。回覧板を持ってきてくれたのです。この奥さんは社交的な性格で、面倒見も良いのですが、かと言って立ち入り過ぎることも無く、偶に立ち話をしたりする程度の間柄ですが、適度な距離間が私としても心地よく感じていました。 「そう言えば、三日前に、Kさん家でお葬式が出たみたいですね」  この奥さんなら、何か知ってるかもしれないと思った私は、水を向けてみました。 「ああ、そうそう。あそこのお婆ちゃんがね。前の日まで全然何ともなかったのに、朝になっても起きてこないから、奥さんが見に行ったら、お布団の中でもう冷たくなってたんですって」 「へえ、そうなんですか」 「どうも寝ている間に心不全を起こしたらしいんですって。確かにかなりご高齢だったけど、普段からピンシャンしてらしたのにねえ。ほら、ご存知でしょう。いつもお元気で、お声にも張りがあってねえ」 「ああ、私も偶にお見掛けしましたが、そんな感じでしたね」 「それが、突然あんなことになってしまってねえ。本当に人の運命なんてわからないもんですわねえ」 「ご家族もさぞ、びっくりされたでしょうね」 「まあ、びっくりはされたでしょうねえ。ただ、ほら、あそこはお嫁さんとの折り合いがねえ……」  奥さんが意味ありげに言葉を濁します。 「え、そうだったんですか。いや、私はどうもそこら辺の情報には疎くって」 「お互いに気が強かったからねえ。この界隈では知る人ぞ知る話だったのよ。まあ、これでお嫁さんも清々したんじゃ……あらいけない、こんなこと言ったら不謹慎だわね。ごめんなさい、いまのオフレコね」  どこの家にも、外からは見えない色んな事情があるもんだなあと、思ったものです。  確かにそのハイヤーの存在が、既に不気味な話なんですが、実はまだ続きがありましてね。  つい最近、ネットの都市伝説サイトを見ていたら、まさにヒットしたんですよ。何がって、今お話したハイヤーの件です。  そのサイトは、色んな都市伝説を網羅的に載せているんですが、割と最近の投稿で、こんなのがあったんです。  要は、もう老い先短くなった高齢の方に「お迎え」を寄越してくれるサービスがあるというのです。もう老齢の域に達し、十分に生きたし、これ以上浮世のしがらみの中で生き続ける事にも飽きてしまった。さっさとこの世におさらばしてあとは、あっちでのんびり暮らしたい……そんな思いを抱いた高齢者の方を、静かにあの世へお送りする"送迎サービス"があるんだそうです。  やり方は、真夜中に、固定電話からある番号に電話をかける。かける番号は6桁のものです。ええ、6桁なんです。それは、2桁の市内局番と4桁の番号で構成されている。つまり、それは昔の電話番号で、まだ東京の市内局番が2桁だった頃の名残だそうです。因みに下4桁は……もうご想像ついてますよね。そう、0000です。  そんな番号に繋がる筈無いとお思いでしょうね。そう、当然繋がる筈が有りません。でも、それが繋がるから不思議なわけですよ。かける人が誰であれ、本当に切実な思いで電話をすると繋がるんだそうです。  電話が繋がると、低い男性の声で、相手は「はい」とだけ応える。そして、電話に出た人に、「迎車一台お願いします」と言って、名前と生年月日を言えば良い。それだけでいいんです。住所も言わなくていいそうです。後は向こうが勝手にその人を探し出して、「車」を寄越してくれる。真夜中にその人の家の前に音もなく一台の車が到着し、そのまま魂を乗せて行ってくれるというわけです。対象者が高齢のせいでしょうか、迎えの車も昔の高級車が使われるそうですよ。懐かしいからでしょうね。とにかく、電話をした人が誰であれ、地位も財産も全く関係無く、勿論料金も無料。乗客の名前と生年月日だけ正確に伝えれば、あとはその人の魂を静かに迎えに来て、乗せて行ってくれる……そんなサービスがあるっていう話なんです。  怖いような、でもなんとなく、しんみりする感じもする話じゃないですか。結局私が見たあのハイヤーは、まさにど真ん中でこの話に合致するわけですよ。いや、この話をサイトで見つけた時は、思わず「これだ!」と叫んじゃいましたね。都市伝説で語られていることを、リアルで目撃してしまったんですから、いやあ、本当に貴重な体験でした。あのお婆さんも、若かったころの憧れだった黒塗りの高級車でお迎えされて、懐かしい思い出に浸りながら旅立って行かれたのかなあ……そんな風に思うと、少ししんみりした気分になりましたね。ええ、そう思われますでしょう?そうですよね。え?自分も高齢者だから?いえいえ、まだまだお若いですよ、あはは。  でもね、今の話、よく考えてみたら、何となく不安になってきたんです。  あのお婆さん、さっき言いましたように、すごくお元気でいらしたんですよね。背筋もぴんとして、声にも張りが有って、とても快活でした。ご高齢とは言え、まだまだ全然お元気で、これから先も人生をめいっぱい楽しんでやる、みたいなエネルギーを感じさせていたんですよね。  そんな方が、「老い先短い身の上だし、私はもういいや」みたいにお迎えの車を呼ぶものでしょうか……  サイトの記載によれば、その送迎サービスは、”電話をした人が誰であれ、地位も財産も全く関係無く、勿論料金も無料。乗客の名前と生年月日だけ正確に伝えれば"良いということです。そう、"電話をした人が誰であれ”です…… 「ほら、あそこはお嫁さんとの折り合いがねえ……」  隣の奥さんの言葉が思い出されます。  あの車、誰が呼んだんでしょうか……?  おや、もうこんな時間になってしまいましたね。ぼちぼちお帰りですか?でも、もう終電もありませんよ。まあ、ゆっくりしていって下さい。  ああ、帰りの車をさっき手配しておきましたから。 [了]
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