4.幼子相手に人間は何をしたのか

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4.幼子相手に人間は何をしたのか

 用意させたのはポタージュ、サラダ、ハンバーグ、焼き魚だった。スープは薄味にするよう命じてあるが、野菜を細かくしてとろみをつけた。噎せにくいらしい。弱った体にいいと言われる料理ばかりだ。焼き魚は解しやすい種類を指定したし、ハンバーグの挽肉に擦った野菜も混ぜた。生サラダは消化に悪いので、温野菜で蒸して仕上げさせている。  どれも温かなうちに食べさせたいが。 「スープにするか?」  尋ねる響きで様子を窺うと、子どもはするすると膝から降りた。あまりに自然な動きで、思わず見送ってしまう。空になった膝が妙に寂しかった。床にぺたんと座った後、きっちり頭を下げる。まだ服を着せていなかったため、毛布が床に落ちた。 「餌をおめぐみ、くださ……くちゅん」  最後まで言う前に、くしゃみが出た。慌てて手で口を押さえて震える。ごめんなさいと頭を下げる姿に、大きな溜め息が零れた。こんな幼子相手に、人間は何をしたのか。手に取るように理解できた。  自分がされた虐待ではないのに、屈辱で指先が震える。この子がどのような生まれであろうと、貶めてよいわけがない。犬猫以下の扱いをされ、それが身に沁みついていた。この子にとって、虐待されることは日常なのだ。  怒りが突き抜けた。それでもこの子を怯えさせたくない。泣きたい気持ちを抑えて、子どもを抱き上げた。驚いた顔をする子どもを膝に座らせ、勝手に降りないように言い含める。冷えた肌を毛布で包み直し、横抱きにした。 「口を開けろ、ほら」  スプーンに掬ったスープを一度唇に寄せ、温度を確かめてから薄く開いた口に流し入れる。傾ける角度を調整して、ゆっくりと嚥下する様子を確認した。ほぅと可愛い吐息が漏れる。眦が下がって、大きな目が垂れ気味になった。それから小さな両手が我の腕に添えられる。 「もう一度だ」  スープを満たしたスプーンで唇に触れると、小さな口が遠慮がちに開く。こくりと動く喉が温かなスープを体内に送り込んだ。うっとりした顔で幸せそうに頬を緩める。たったこれだけのことも、この子は知らなかった。 「うまいか?」  こくりと頷いた後、慌てて言葉にする。 「うまい、です」  続けてスープを飲ませ、固形物も食べさせた方がいいと気づく。ハンバーグの皿を魔法で引き寄せ、両手が塞がっているのでカトラリーも操った。一口サイズに崩した肉を差したフォークを握り、子どもの前に示す。驚いた顔で動かない子どもの頬を突いたら、ぱくりと口を開けた。  鳥のヒナが刺激で口を開くのに似ている。口に入れてやってから、フォークが大きすぎると眉を寄せた。この子用に小さな食器を用意させよう。コップも大きすぎると飲みづらいはずだ。この辺はアガレスに任せるとするか。何とかするだろう。  当人が聞いたら怒り出しそうなことを考えながら、料理を少しずつ食べさせていく。まだ子猫ほども食べぬうちに、子どもは口を開けなくなった。困ったような顔をするので尋ねると、食べられないと答える。遠慮ではなく、胃が小さいのだろう。 「わかった。休むがよい」 「残してごめ、なさい」  じわりと涙を浮かべた子どもに言い聞かせた。 「そなたは悪くない。残りは我が食すゆえ、気にするでないぞ」  命令に聞こえたのか頷いたものの、残り物を食べさせてしまったと謝られた。名前の件もそうだ。この子は自分が悪いと思い込まされている。あの罵詈雑言を己の名と認識するほど、過酷な環境を生き抜いたと言うのか? まだ子猫と変わらぬ年齢だぞ。  人の顔色を窺い、声を上げて泣くことも出来ず、感情を必死で抑え込む。我らの知る子どもという生き物は、もっと本能に従い自由に生きる者だ。このように怯えながら震えたりしない。  この子がいた環境を調査させる必要がありそうだ。
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