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「たまたまあっくんの車を見つけたから、乗ってみただけだよ。こんな偶然、二度とないと思ったから、体が勝手に動いちゃっただけ」
「なら、このまま家まで送ってやるから、とにかく扉を締めろよ」
「ううん。駄目だよ」
「どうしてだよ」
「どうしてもだよ。軽い気持ちであっくんの前に現れてごめんね」
「謝るなよ。俺が、全部悪かったんだ。お前のことを思いやれなかった俺が……」
涙が溜まってきて、視界が悪くなる。
瞬きなんて一度でもしたくないのに。
「お前のことを優先しない俺は、もういないから、だから、頼むから、戻ってきてくれよ」
情けないと思いつつも、縋るような声で懇願した。
だけど、妻は何も言わずに扉を開けて、雨の中に出ていこうとする。
「なあ待てよ! 玲香!」
膝をシートの上に乗り上げて、無様にもう一度手を伸ばす。
またもその細い腕を掴むことができなかった。
外に出た妻は、これが最後と言わんばかりに、満面の笑みでこちらに振り返って見せた。
その笑顔に目が釘付けになり、ここでお別れだと思い知らされる。
「あっくん。かなちゃんを幸せにしてあげてよね。そこんところは、信頼してるからさ」
大雨に打たれながら声を張る妻。
あどけなく両手でひらひらと手を振ってきた。
「なんだよ、それ」
こんな時にでもマイペースな子供っぽい仕草をする妻の姿に、俺は笑いながら涙を流し続けた。
「じゃあね。あっくん」
無理だ。
俺には、あいつを引き止めることはできない。
「……たまには、顔見せろよな」
雨の中去っていく妻の背中に、渋々そう投げかけた。
もう一度振り返った妻はまたも笑い飛ばして、ネオンの中に消えていった。
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