TO HAPPY

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 ここは樋川のマンションのリビング。シャワーの音が届いてる。  時々、聴こえて来る鼻歌。よくよく耳を澄ませば、それは聞き慣れた自分がリリースしたアルバムの歌で。  守山こと、守山智は革張りのソファに身を預けながら、瞳を閉じた。  ガラッと浴室の扉が開く音と共に、鼻歌が先程より大きく聴こえる。  歌っているのは、仕事の相方でもあり、人生の愛方でもある樋川尚である。 「守山ー、風呂空いたぞ」  ジャージのズボンに上半身裸!タオルを肩に掛けるといった出で立ちで、樋川がリビングに入って来た。 「ん。もう少ししたら入るよ」  閉じていた瞳を樋川に向ける。  決してお世辞にも格好良いとは言い難い樋川だが、守山は風呂上がりの樋川を見るのが好きだった。  桜色に染まった肌と、濡れた髪。  決まって口ずさむ守山の歌。  歌っている曲が守山の歌だというところに、愛を感じてしまう。 「そんなんしてると、寝ちまうぞ?」  濡れた髪をわしゃわしゃと乱暴に拭きながら、樋川が守山の隣に腰を降ろした。石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。 「尚、いい匂い」  擦り寄ると、暑いと言いながら樋川が少し身体をずらした。 「…冷たいなぁ」  ボソッと呟くと、何言ってんだと軽く頭を小突かれた。それでも、完全に離れない樋川にもう一度寄りかかる。ぷにぷにした感触が気持ちいい。  そんな事言ったら、絶対うるせぇと怒られるから言わないけれど。  守山は、ぽちゃっとしている樋川の体型を気に入っている。触れていて気持ちいいからなのだが、樋川は気にしているらしく、体型の事を口にすると怒る。 「尚、明日仕事何時?」  ぴったりと身体を寄せ上目遣いに見上げると、髪を拭く手を止めた樋川と視線が交わる。 「んー…、午後からだったかな?」  答えは曖昧で、そんな事で良いのかと思ってしまう。仕事の時間くらいは、ハッキリさせておかないと。遅刻は周囲の方々に迷惑だ。 「相変わらず、アバウトだなぁ。メモってないの?間違えたら、どうすんの?」  少し睨みながら脇腹を突付く。 「大丈夫だよ、間違えないから」  突付きに動じること無く、樋川は守山の手に自身の手を絡めてしまう。  そうされる事が好きだと知っていてやっているのなら、ズルいと思う。  基本的に守山は、スキンシップ大好き派だ。動物だろうが人だろうが、出来るだけ触れ合っていたいと思う。  だから、樋川とのこういう時間はかなり心地好いのだ。  樋川も守山も、お互いに仕事が忙しい。  人気があるというのは、凄く有り難く良い事だけれど、疲れ切ってしまうと役に気持ちを乗せる事が大変だったりする。  守山の場合は、こうして樋川と触れ合う事で充電している。  もう若いとは言い難い年齢になってきたせいか、身体を求めると言うことはそうそうないけれど、意味なくくっ付くということはしょっちゅうある。  大体は、守山が一方的に樋川にまとわり着いているのだけれど。  暫く何をするでも無くジャレ合う。指を絡め、突付き合い、他愛もない話をして。  二人にとって、そんな時間は宝物だ。  ラジオだテレビだ、CDだと忙しい二人にとって、唯一のんびり出来るのは、こんな一緒にいる時間なのだ。 「尚、ずっとこうして居たいね」  すっかり力を抜いている守山の頭を、ポムポムと叩きながらそうだな、と答える。  後ろから抱き起こす様にして、守山の上体を起こす。 「守山、早く風呂入って来いよ。湯冷めるぞ」  そろそろ休まないと明日に差し支えると判断した樋川は、腕の中のデカい猫の頭を叩き、風呂を促した。  急に現実に引き戻す様なことを言われ、守山は渋々腰を上げる。 (…もっとくっ付いて居たかったのに。)  守山の膨れた顔を見ない振りで、樋川も立ち上がった。 「先、ベッドに行ってるぞ」  クシャっと頭を撫でて、樋川はベッドルームに消えていった。  それを見送り、これなら一緒に風呂を済ませるんだった、と後悔しながら守山は浴室の扉を開いた。  換気扇が回りっぱなしになっていたせいで、浴室は少し肌寒いくらいだった。  素早く服を脱いでしまうと、シャワーのコックを捻る。すぐに熱い湯が出てきて、身体を包んでくれる。  スポンジにソープを泡立てる。桃の香りがするそれは、守山のお気に入りの一つ。  他にも、イチゴやらバラやら色々な香りのソープがある。  樋川の家に良く泊まるようになってからは、ソープはお気に入りを買って置いてもらっている。 「ん〜、いい匂い」  知らず笑みが零れる。  守山の好きなソープを毎回揃えて置いてくれる、こういうさり気ない樋川の優しさは温かい。  腕から始まって、肩、胸、腹、脚と順番に洗っていく。  いつ、何をされても良いように、泊まりの日は殊更丁寧に身体を洗う。 「…明日、仕事だって言ってたからなぁ。多分、何も無く寝るんだろうな…」  声に少し残念な色が混じる。毎日のように求められれば、それはそれでキツイけれど、余りに求められないのも、また淋しかったりして複雑だ。  石鹸を綺麗に流してしまうと、今度は髪を濡らす。シャンプーも丁寧にして、ようやく浴槽に身を沈めた。湯加減は丁度いい。 「あ〜…、極楽」  肩まで浸かって深く息をつく。気持ち良くてこのまま眠ってしまいそうだった。  目を閉じると、軽く眠気が襲ってくる。 「このまま寝ちゃいたいかも…」  そんな事は出来ないと分かっていながら、独り言を漏らす。  一つ大きな伸びをして立ち上がる。  早く出なければ、樋川もベッドで眠ってしまう。そっちの方が心配だ。折角一緒にいるのだから、少しはベタベタしたい。 「尚?」  浴室から声を掛ける。「ん〜?」と寝室から気だるげな声が返ってきた事で、樋川が寝てないと分かる。  しかし、声の調子からするとかなり眠気が襲って来ているらしい。  素早く身体を拭き、パジャマ代わりのジャージを着る。髪は濡れたままだったが、乾かして部屋に行く頃には、樋川は完全に夢の中の住人だ。 「尚、寝た?」  もぞもぞと隣に潜り込むと、少し樋川が身体をずらしスペースを作ってくれた。  瞳は閉じられている。  仕方なく、隣で抱きつく様に身体を寄せ瞳を閉じる。途端、「髪、ちゃんと拭いて来いよ」と言いながら樋川かま身体を起こした。 「んー、だって…尚先に寝ちゃうじゃん」  ベタベタしたいのに…と、言外に伝えて毛布に包まったまま見上げると、樋川はベッドを降り側に置いてあったタオルを持って戻ってきた。 「ほら、こっち来い。風邪引いたらどうすんだ。一番移る確率高いの、俺なんだぞ」  口では文句を言いながら、髪を拭く樋川の手は優しい。大事に大事に、まるで壊れ物を扱っているかのように拭いてくれる。  黙ってされるがままになりながら、樋川の身体に腕を回す。  ぎゅっと抱きつくと樋川の手が止まった。 「尚、今日は寝る…よね?」  抱きついたまま小声で囁く。  折角だし、抱いて欲しいと思うけれど、明日仕事が入っている樋川を考えると、守山から「しよう」とは言えない。  こういう時、忙しい仕事が恨めしく思ってしまう。なかなか二人の休みが重なるなんて事は、無いからだ。 「…」  守山の問いに樋川が黙り込む。  聞かれているということは、守山自身は欲しいということだろう。  しかし、明日自分には仕事がある。  出来ればこのまま、眠気の波に身を委ねてしまいたい。 「あ、いや…別に、その…いいんだよ。寝る…よね、うん。寝よう」  本当はそろそろ欲しいなぁなんて思っているのだけれど、そう伝えるのは流石に恥ずかしい。それに、明日オフの自分と違って、樋川は仕事が入っているのだ。我が儘は言えない。  口走ってしまった事が恥ずかしくて、抱きついたまま動けない。動けば樋川に真っ赤になった顔を見られてしまう。 「…守山」  そっと名前を呼ばれて視線を上げる。薄暗がりの中、樋川の優しい視線を感じる。 「我慢ばかりさせて悪いな」  よしよしと子どもみたいに頭を撫でられる。触れている場所から、ほんわりと優しい気持ちが染みてくる。  確かに我慢はしているけれど、樋川を想っての事だから苦しくない。  平気だと伝える為に、笑顔を向ける。  甘やかされている自分だから、こんな時くらいは樋川を大事にしたい。 「寝よう、尚」  抱きついたまま、樋川ごと身体をベッドに横たえる。身体は足りない感じがするけど、心はこれ以上ない程に満たされている。  幸せで顔が緩む。 「何だよ、気持ち悪いな。何笑ってんの?」  腕の中でクスクス笑う守山の顔を、樋川が覗き込む。  幸せそうに笑っている守山の顔は、樋川にも幸せを伝染させる力がある。  こんなオッサン二人が、夜ベッドの中で抱き合ってニヤニヤしている様は、端から見ればおかしい事この上ないに違いない。だが、誰がなんと言っても、今自分たちは幸せに包まれているのだ。 「尚、オレたち変だろうね。でもオレ幸せ」  樋川の胸に顔を埋めたまま、そっと守山が呟く。 「尚がいるから」  傍にいるから。 「そうだな」  優しく答えて、樋川は瞳を閉じた。  この先ずっと、多分二人は一緒に生きて行くのだろう。仕事も。私生活も。  そしていつか、友人たちに話せればいい。二人の甘い関係を。  だって今は、同性愛に寛大な世の中になってきているのだから。  今夜も、この腕に温かい温もりがある。
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