十二 避暑地の出来事

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十二 避暑地の出来事

「先生!大変です」 「どうした中田」 玄関で慌てた中田。その背後には顔がたくさん見えた。 「先生!お久しぶりです」 「うわ。すげえ」 玲二が滞在している日光中禅寺湖の別荘。ここで植物研究していた助教授の桐嶋玲二。突然の教え子達の訪問にびっくりした。 「お前達。本当に来たのか」 「はい。いや?それにしても。見事な別荘ですね」 教え子達は八名の男子大学生。夏休みを利用して遊びにきたと中に入ってきた。 「すごい。この景色」 「湖畔がすぐそこだ。俺は釣りをするぞ」 「先生?二階に行っていいですか」 「……お前達」 好き勝手の学生達。怒る寸前の玲二を中田が制した。 「先生。どうせすぐに帰りますよ」 「だがな。食べ物だってないぞ」 ここで学生の佐藤が笑顔で荷物を運んできた。 「先生。これは差し入れです。お米に缶詰、それにこれはお酒です」 「こんなにたくさん?」 佐藤はニヤと笑った。 「なので先生。少しだけ、僕らをおいてください?研究の手伝いをしますから」 「……しょうがない」 彼らはやった!と大騒ぎをした。玲二、腰に手を置き、ため息をついていた。 夕刻。恵が舟でやってきた。 「こんばんは。え?お客様ですか」 たくさんの男子学生。これを見て恵は思わず一歩引いてしまった。八名の学生達は、少年の姿の恵に目を見開いた。 「どうも!俺たち、しばらく厄介になるからな」 「お前がこの屋敷の使用人か。まあ、よろしく頼むよ」 「おい。風呂ってどうするんだよ」 裕福な大学生達。使用人の恵にどんどん用事を言い出した。恵はその前に玲二に確認しようと、書斎にやってきた。彼は学生に囲まれて雑談をしていた。 「玲二さん、あの」 「あ?恵。ああ、ちょっと外に出よう」 夕映の湖が見えるテラスに出てきた二人。玲二はヒソヒソと話し出した。 「申し訳ない!あいつら勝手に来たんだ。すぐに東京に帰すから少しの間だけ、辛抱してくれ」 「僕は構いませんが。お食事は?」 「奴らにやらせる。いいかい?君はその」 本当は女の子。玲二は見上げる彼女の両肩を掴んだ。 「あまりここに来なくていい。まあ、朝食を頼むかな?それだけを頼むよ」 「わかりました。じゃ。今夜は?」 恵は玲二と中田の支度をするつもりできた。しかし。それ以上の八名。玲二は夕食は中田に頼み彼らを温泉街で夕食を食べさせに連れ出させた。出かける時、学生の佐藤は、玲二を見た。 「先生は行かないのですか」 「私はここで君たちの夜の支度をするから。まずは食べて来い!」 そういう玲二。別荘から学生達を追い出した。やっと恵と二人になった。 「はあ。参ったよ」 「研究もあるのに。お客さんですもんね」 「わかってくれるのはお前だけだよ」 植物採取や論文の執筆。恵は玲二が多忙であることを知っていた。 「玲二さんは休んでください。僕がお客様の寝る部屋を支度します」 「いや?一緒にやる。あれでも一応、私の教え子だからな」 そういうと二人は二階に上がった。ここはすでに玲二と中田の寝室があった。だが学生の八名の登場。玲二は布団の心配をした。 「どうする?外で野営させるか」 「ふふふ」 時折、真顔で面白いことを言う玲二。大学の助教授という堅物の印象もあるが、中身は大変、合理的で飾らない人柄。恵は玲二が本気で話しているを知っていた。 「なぜ笑う?良い経験だと思うが」 「ひとまずここに四人分の布団はあるので。あとは、下のソファに二人と、この寝袋と、ハンモックにしましょうよ」 「ハンモックか」 二階の広い洋間。そして廊下。本当は外で使用するものであるが。室内にも引っ掛けるところがある。玲二と恵は布団を敷き詰め、最後に一緒にハンモックを部屋に張ってみた。 「おお。すごいな」 「玲二さんも寝てみますか?どうぞ」 「やってみる」 早速腰を下ろした玲二。寝転んでみた。 「おお?これはいいな」 「揺らしてみますね、それ」 恵はそっと揺らした。玲二、静かに恵をみた。 「恵。あのな。あいつらはわがままをいうと思うが。何かあれば俺に言ってくれ」 「でも。玲二さんの生徒さんですし。僕、頑張りますよ」 「酔いそうだ。もういい。手を貸してくれ」 玲二。手を借りてハンモックを降りた。でもまだ手を握っていた。 「恵。君は女の子だ。決して無理をするな。約束しておくれ」 ……なんて心配そうな顔。 「はい。わかりました」 「そうか」 玲二。笑みを見せた。そして手を離すと恵の頭にポンと手を置いた。優しい手だった。 この後。玲二は恵が用意してくれた夕食を食べた。恵はその間、風呂を沸かした。そんな時、外から大きな音がした。 「帰ってきましたよ」 「おっと?君は帰れ。奴らはこれから酒盛りだ」 「わかりました。玲二さん」 「ん?」 恵はじっと玲二を見つめた。 「飲み過ぎないでくださいね」 「わかっている!ああ、そうだ」 玄関の音から逃げるように玲二は恵と一緒に勝手口からそっと夜の外階段に出た。そして船着場までやってきた。 「いいかい。恵?私たちは連絡手段がないね」 「はい」 「見ておいで」 玲二。船着場の床に懐中電灯を置き、夜空に向けた。 「光はまっすぐ進むだろう?だから。こうするんだ」 玲二。光の前に手を出したり、引っ込めたりした。 「この動きを連続で三回続けたら。それは『来るな』の意味だ」 かざす様子。恵は覚えていった。 「他には?」 「二回の時は、そうだな『来い』だ。そしてだね」 玲二。ちょっと笑った。 「五回は『わかった』でいいな」 「四回じゃないんですね」 指で数える恵。玲二は素直な彼女の頭を撫でた。 「四回では間違うかもしれないだろう?さ。舟にお乗り」 玲二。優しく恵の背を押した。彼女は納得してオールを持ち夜の湖に進み出した。ランプを照らす少女の顔。玲二は声を張った。 「恵!今夜は実験に八時にサインを送る!見えなければ明日、また打ち合わせをしよう」 「はい。玲二さん……待ってます」 「ああ」 月のランプが照らす恵の小舟。揺らぐ夜風。誰もいない湖。月の明かり。玲二は髪を押さながら彼女の小舟のランプを見ていた。 ◇◇◇ 「あ、先生。どこに行っていたんですか」 「お前たちの用意だよ!中田。こいつらに飯は食わせたのか」 「はい、先生」 今回やってきたのは裕福な家の学生達。だが優秀な生徒である。無下にもできない玲二。それに最近の大学の話も聞きたい。玲二は湖が見える広いダイニングルームで学生たちと酒を飲み始めた。 「ははは。私が留守の間、教授がそんなことを?」 「はい。桐嶋先生にも見せたかったですよ」 「そうか……あ?ちょっと部屋に行ってくる」 楽しい話。すっかり約束を忘れていた玲二。時計は九時を過ぎていた。しかし、念のため、二階の湖面沿いの自分の寝室にやってきた。 対面の貸しボート小屋は、夜釣り船のためか。遅い時間まで外灯が光っている。玲二、ここに向けて懐中電灯の光を送った。 ……方角はどうだろうか。まあ、送ってみよう。 連続して二回、光を遮った。明日は『来い』の意味。間を置いてこれを繰り返してみた。 すると。貸しボートの外灯が規則的に光だした。 ……返事か?恵の。 玲二。光の間隔を数えた。一、二、三、四、五。『わかった』の意味だった。これが間を置いて繰り返しやってきた。ベッドの上、無性に、嬉しくなっていた。が、階下から声がした。 「先生!ウイスキーをもらいますよ」 「おい?待て、今行く」 そういうと。玲二も五回のメッセージを送った。気持ちは「おやすみ」というものになっていた。この夜。久しぶりに彼らは酒を酌み交わした。 翌朝。みんなが寝ている時。恵は勝手口から入った。 ……うわ?すごい、お酒の瓶が。あんなに。 人はいない。が、散らかった様子に恵は驚いた。まずは窓を開けた。そして朝食を作り始めた。 「……お前か?早いな」 「おはようございます」 学生の佐藤。眠そうな顔であったが、リビングの椅子に座った。 「なあ。コーヒーを淹れてくれ」 「はい」 「朝飯はなんだよ」 横柄な態度。しかし恵は対応した。 「ご飯とお味噌汁と」 「なんだよそれ。俺は朝は洋食って決めているんだ」 「……わかりました」 「新聞は?それに、ラジオをつけてくれ」 まだ玲二は寝ている。恵は貸しボートから持ってきた新聞を差し出し、冷蔵庫のもので洋食も作っていった。そこに学生達がどんどん起きてきた。 「これ。洗濯物」 「ふわあ。眠い。悪いけど、朝風呂沸かしてくれないか」 「は、い」 わがまま放題の様子。しかし、ここに玲二が起きてきた。学生達は急におとなしくなった。 「先生。おはようございます。新聞どうぞ」 「コーヒーもありますよ」 玲二。頭をかいた。 「いいよ。そんなの自分でやるから。恵。朝飯一緒に作ろう」 「え?先生がするんですか」 学生達。驚きの顔で寝癖の玲二を見た。 「ん。どうした」 「そういうのは女や使用人のやることですよ?先生がすることないですよ」 「そうです。先生は研究に専念されるべきです」 ここで玲二。恵の肩を抱いた。 「お前たち。料理も研究の一つだぞ?まあ、俺たちの料理を待て」 そういうと玲二は恵とキッチンに来た。 「改めておはよう」 「お。おはようございます」 「恵。サインが遅れてすまなかったな」 「いいえ。僕の伝わりましたか?どうかと思ってんですけど」 不安そうな目。玲二は笑みを見せた。 「もちろん伝わったさ。さて、何を作る?」 「いつものですね。玲二さんはオムレツをお願いします。僕はお味噌汁ですから」 「おう」 最近始めた家事。玲二は快くフライパンを握った。恵は野菜を洗い出した。 ……優しいな。玲二さん。 自分を庇うだけでなく、学生に教える姿勢。恵はジンとしてきた。 「おっと!恵。助けてくれ。卵が」 フライパン、玲二の慌てる顔に恵は優しくフライ返しを渡した。 「大丈夫です。形が崩れただけ。焦げてないです」 「よおし、ひっくり返すぞ……せーの、は!」 どうだ!という顔。しかし恵、テキパキと皿を並べてた。 「美味しそう……でも玲二さん。あと九個です」 「九個ぉ?」 朝のキッチン。夏の風。大学の助教授と少年のような髪の少女。楽しく十人分の食事を作る朝。窓からは爽やかな湖の風が入っていた。 つづく
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