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八 月明かり
玲二の開催するパーティーの準備。玲二と中田は最後の追い込みでこの地でしかできない植物採集や最終確認で多忙。そのため恵とナミで料理の支度を進めていた。
恵は京極屋にて温泉ホテルの料理人と料理の話をしたことがあり、ずっとその食材で作ってみたい料理は数多くあった。それに加え、ナミもまた老齢であるが挑戦者。しかも自分の料理を大使館の異人さんが食べると思うと、気合が入っていた。
そんな中、華子だけが退屈していた。イタリア別荘をちょこちょこと動く恵。それを見ているだけであった。
「ねえ。お前は恵と言ったわね」
「はい。華子様」
「あなたね。玲二さんと呼ぶのはおよし。お前は使用人なのよ?玲二さんはね。あなたが口を聞いていいような身分ではないの」
そう言って乳母が入れたミルクティーを飲む華子。恵、仕方なく頭を下げた。
「かしこまりました」
「それと。玄関が汚れていたわ。あれなら帰ってきた玲二さんがお疲れよ」
「すいません」
「他にも。玲二さんの服がひどいわ。ちゃんとアイロンかけてね」
「はい」
華子なりの玲二への気遣い。恵、言われた通り働いた。それにしても、華子はつまらなそうであった。
「ねえ。玲二さんて。ここで何をされているの?」
「本の執筆みたいですよ。僕も難しいことは分かりません」
「何の本?どこにあるの」
それは書斎。でも華子が何をするかわからない。片付けようとして触るのは玲二が嫌がる。恵、ちょっと考えた。
「お嬢様。お車で華厳の滝とか。観光はいかがですか」
「華厳の滝か」
「はい。あとは日光東照宮です。家康様のお墓がありますよ」
恵の誘い。これに乳母が行きたいと言い出した。こうして二人は観光に出かけて行った。昼下がり。恵は一人でパーティーの支度を進めていた。
「ただいま」
「はい。おかえりなさいませ」」
玄関には玲二と中田がいた。汗だくだった。
「お風呂を沸かしますか」
「いや。まず、資料のまとめが先だ。忘れてしまうからな。中田。お前先に風呂に入れ」
「分かりました」
いつもの様子。恵は玲二は夢中になって資料をまとめている玲二に飲み物を出した。帰宅すぐの玲二。泥がついたままの顔、服も草だらけ。しかし、必死に仕事を進めている。これもいつものこと、恵、そっとさせておいた。
こうして風呂が済んだ中田。出てきた時に、華子が帰ってきた。
「華厳の滝だけ見てきました。まあ?中田さんが玲二さんよりも先にお風呂ですか」
「は、はあ」
「あなたね。先生よりも先にお風呂に入るなんて!そんな研究生がありますか!」
目を三角にして怒る華子。中田はバツ悪そうに頭をかいていた。華子の怒りは出迎えた恵にも向けられた。
「玄関掃除をしなさいと言ったでしょう?なぜ無視したの」
今の状態は、玲二と中田の帰宅の跡。恵が清掃した後の汚れ。しかし華子にそんな言い訳が通じるわけなく、恵は頭を垂れていた。そこに玲二の声がした。
「恵。例のあれはどこだ」
「はい!」
「例のあれ?何それ」
玲二のために書斎に向かった恵。華子も続いた。
「まあ?玲二さん。お着替えもしないで」
泥だけらの玲二。華子を無視し、恵に向かった。
「いいんだこれで。恵。どこだ、例のものは」
「玲二さん。これのことですか」
「おお、それだそれ」
玲二が窓辺に干してあった薬草の葉。嬉しそうに手に取る玲二。恵は他にも資料をまとめていた。この阿吽の呼吸の二人。華子は目をパチクリしていた。
「恵。時間は?」
「もうすぐです」
「何のお話?とにかく玲二さん」
華子は玲二の腕を掴んだ。
「お風呂が先です。そんな泥だらけでお仕事なんていけないわ」
「離しなさい華子。私に仕事の邪魔をするな」
「でも」
ここで。中田が華子を呼んだ。華子、渋々書斎を出た。玲二、恵に向かった。
「時間は」
「……今、一時間経ちました」
「よし!色がどう変わったかな」
試験紙にて。植物の成分を色検査していた玲二。恵に時間を測ってもらっていた。結果は彼の予想通り。満足行く結果。玲二、機嫌を良くした。しかし、別室の華子。ぷりぷり怒り中田に八つ当たりをしていた。
「なんなのよ。私を無視して」
「まあまあ、華子さん」
以前から華子を知っている中田。わがままお嬢様を宥めていた。ここで恵、夕食の支度をした。華子はここで食べるつもり。玲二と一緒の時間をまだ過ごしていなかった。
華子の様子を知った恵。玲二になんとか風呂に入ってもらい。華子が気にいるように玲二の身支度を整えた。
普段は洗いざらしの服で、おしゃれなど無関心の玲二。けれどそれは素敵な人。恵はなんとか玲二を宥めて、夜は着ないようなアイロンかけたシャツを着せた。
「……しかし、あの植物があんな花を咲かせるとは」
別のことを考えている玲二。恵は必死に支度した。
「華子様がお待ちです。ええと、髪ももっと拭かないと」
「そうか。土が違うのかも」
「玲二さん。こっち向いて。髪を解かします」
「ここはカルデラ湖だから。昔、噴火があったから。だから酸性なのか?」
「そうですよ、うん!できた。さあ、お食事です」
頭の中は研究でいっぱいの男前の玲二。恵、テーブルに着かせた。対面の華子、素敵な風呂上がりの玲二に頬を染めていた。しかし玲二、今日の発見のことしか考えず食べ出した。
「玲二さん。華子はね。華厳の滝に行きました」
「そうか」
「華厳の滝って。すごいわ。ねえ、帰る前に一緒に行きましょう」
「時間がない……そうだ時間といえば、中田。明日の朝、今日の場所にもう一度行こう。そうしたらわかると思わないか」
「そうですね。先生」
すっかり蚊帳の外の華子。悲しい。これの気持ちを恵にぶつけた。
「ちょっと。このお魚。骨が多いわ。取ってないじゃないの」
「申し訳ありません」
「玲二さんの喉に刺さったら、どうするつもりなの」
当たり散らす華子。玲二、怒り出した。
「華子。この魚は自分で骨を取るんだ。それができないなら食べずとも良い」
「玲二さん」
「作ってくれた人に感謝がないのは悲しいね」
「ごめんなさい」
玲二の冷たい言葉。華子、しゅんとしていた。恵、彼女の気持ちがわかるので、気の毒だった。
こんな空気の夕食が済んだ。恵は片付けていると、華子は顔を出した。寂しい顔だった。
「ねえ。お前はずいぶん、玲二さんと仲が良いのね」
「そうでもありませんよ」
「いいえ。私にはわかるの。玲二さんは、お前が好きなのよ」
いじけてる華子。可愛らしい女性である。恵には眩しかった。せっかく彼を慕いここまできた華子。相手にされない悲しさ。恵、そんな彼女を湖の夜のコテージに誘った。
「まあ。綺麗な星空」
「お嬢様。ここにココアをおきますね」
二人だけで夜の湖と星を見ていた。
「あーあ。せっかくきたのに。玲二さんは忙しそうで。私はお邪魔だわ」
「それだけ。今の研究に情熱を注いでいらっしゃるんですよ」
「わかっているけど。寂しいわ」
石を拾って湖に投げた華子。かわいいチャポンと音を立てた。
「私。お嫁さんになれるかしら」
「なれますよ。そこまで玲二さん、いや?先生を思っているんですから」
「……そうかしら」
華子。今度は遠くに飛ばした。
「見事」
「お前は本当に優しいのね」
華子。月を見上げた。
「私。わがままでしょう?だからいつも家でお兄様に叱られているの」
「……」
何も言うことがない恵。黙って聞いていた。
「自分ではそんなことないと思うんだけど。やっぱりだめね」
「僕はそう思わないですよ。だってそれだけ、こうしたい!ていう想いがあるってことは、強いと思います」
「強い?それはどう言うことなの」
恵。石を持って。湖に投げた。遠くに落ちた。
「……人に何か言われてもぶれないってことは、信念が強いってことだから。
決してだめじゃないです」
「信念が強い。そんな風に思ったことないわ」
驚き顔の華子。恵、微笑んだ。
「僕も自分の欠点を直そうって思ったんですけど。自分では欠点だと思うことが、欠点とは限らない。むしろ長所かもしれないって。言われました」
「私のわがままが長所ってこと。面白いわね」
華子、石を投げた。恵、それを見ていた。
「それに、そういうのって、努力で治りませんよ」
「うふふふ!そうかもね」
湖の夜のさざなみ。二人の乙女の思いを優しく流していた。
「だから。むしろ、うーんと伸ばして、武器にしたら良いのですよ」
「武器か?じゃあもっとわがままを言っていいのかしら?」
「僕以外になら?」
「まあ、ふふふ。お前って面白いのね」
えい!と華子は石を投げた。
「玲二さんが。お前のことが好きな理由がわかった気がする」
「そんなことは」
「いいの、いいのよ。さて。旅館に帰ろうかな」
最後は微笑んだ華子。ご機嫌で玲二に挨拶をし、乳母とともに宿泊先の旅館に帰っていった。
「相手をしてくれたんだね。ありがとう」
「いいえ。華子さんは素敵な人ですね」
「……まあ、な」
そう話す恵。憂いを帯びた横顔。綺麗だった。玲二、そんな恵の手を取った。
「え」
「では、今度は私の相手をしてもらおうかな。資料をまとめたいんだよ」
「はい。玲二さん」
「おーい中田。お前もだ。始めるぞ」
「はーい。今、飲み物を持っていきますよ」
夏の終わりの湖畔の別荘。二日後にパーティーを控えた彼ら。別れの時の足音を無視するように、この夜は書類を整理した。
九 『月明かり』完
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