歓びの月

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***  彼は地元の公立高校に入学した。偏差値は然程高くないが、大概の学生は就職を優位にするためであったり、モラトリアムを得るためであったり、その場限りの論理的思考、或いは自己弁護を発揮し大学受験をするのだった。斯くいう彼も周りと同じように、彼なりの最善を尽くし、地元から数県程跨いだ或る大学に合格した。   それに至るまでの三年間、彼は幾人かの友人を作り、幾人かの女子を心の内で恋慕した。その中に椿村という姓の女生徒が居た。彼は、椿村に格段の恋愛感情を発揮し、ついには告白した。が、一蹴された。只それだけの事である。   彼が椿村に初めて会ったのは、二年生のクラスが一緒になったことによるものだ。椿村は、日が当たると茶色に見える、やや色素の薄い髪をボブカットにした快活そうな女子だった。加えて、黒目がちな瞳は大きく、二重の双瞼であり、面食いがちな彼が恋慕を寄せるには十分すぎる理由があった。   彼は、グループ学習や、急な教室移動の際など声をかける機会があれば、度々彼女に話しかけた。椿村はこのように面倒な彼の付き纏いに近い行動を、最初のうちは表面上の笑顔で対応していたものの、次第に彼を鬱陶しく思い、心中では常に彼のことを軽蔑するようになった。が、彼の鈍感さと、椿村の八方美人な性格が災いとなり、数ヶ月経っても、彼は椿村のことを諦めなかった。   或る日の放課後のことである。彼は男友達の、安岡、永沢と、椿村、そして彼女の友人の女子と共に街を遊び歩くこととなった。彼は安岡、永沢に己が意中の相手を明かし、協力を仰いでいた。彼は、恋愛ごとになると、気色の悪い行動を取る男であったが、同性の友人との付き合いには慣れていて、この三人の関係こそは良好であったことは付け加えさせて貰いたい。   五人は街を散策し、街頭販売の菓子やら、タピオカミルクティーなどを買い、悠然とした足で、表通りのアスファルトを踏んでいた。椿村は、彼がいることには嫌悪感を抱いていたが、友人の女子、安岡、永沢のことは嫌いでなかったので心持ちは穏やかであった。殊に、永沢は、身長が一七〇センチ後半あり、運動部に所属していることによる精悍な肢体の持ち主であり、椿村は深層心理的に永沢のことを心良く感じていた。  椿村は、反対通りに最近開店した有名なフランチャイズの雑貨屋を見つけた。それと同時に横断歩道の青信号がもうすぐ点滅しようとしていることもわかったので、彼らにその旨を伝え、急いで渡ろうと試みた。   五人はやや駆け足で横断歩道を渡っていたが、中程で信号は赤になってしまった。すると、向かいから、左折してきたトラックが進行してきた。前方不注意のようであった。位置合いからいって椿村が最も危険だと判断した彼は、咄嗟に反応して彼女を突き飛ばし、自分が身代わりになった。   スピードこそは出ていなかったが、トラックに轢かれたので、彼は左上腕を骨折し、幾つかの擦り傷と打身を受けた。椿村は、彼に突き飛ばされたので、軽く転び、膝と掌に軽微な擦過傷を負った。彼らは病院に行かなければならなくなったので、放課後の遊びもこれで幕切れとなった。  
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