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それから数週間ほど経ったことである。この日彼は腕の具合を確認するために病院に再び行かねばならなかったので学校を休んだ。
或声「つばきちゃんさ、この前『彼』に突き飛ばされて、怪我したんでしょ。ほんと酷いよね」
「ほんとそうだよ。学校の先生にチクんなかったの?」
椿村「うん、事情がちょっと複雑でさ…面倒だし、特に何もしなくてもいいかなって」
或声「つばきちゃんってほんとお人好しよね」
「うんうん、あんなやつのこと庇わなくても良いのに」
こんな会話が、昼休みの喧騒の最中にあったらしい。が、尾鰭のついた話と椿村の複雑な心情による沈黙は、事実の断片が歪曲するのみで、後は喧騒の中で泡沫に帰した。従って一部の人の間でこの話は止まるのみとなり、「彼」にも、「彼」の友人にもこのことは伝わらなかった。
それから又、数カ月が経過した或る日、彼の高校では文化祭が開かれた。彼は勇気をだして椿村に告白した。
「ずっと前から好きでした。付き合ってください」
丁度、こんな具合の極めて愚直な告白であった。喧騒とは一歩遠ざかった、静けさの中に、微かに風に揺れる葉音が霧散する詩的な空間であった。恐らく、双方が恋慕を持っていたのなら申し分ない要素が揃っていた。が、
「ごめんなさい。他に好きな人がいるので」
と、椿村は普段の如くの八方美人的な微笑を浮かべ、至極ありきたりな断り方をした。
「俺、どうしても諦めきれないんだ。だからさ、誰が好きなのかだけ、教えてくれないかな」
彼は、引き下がれず、こう問うた。それが、同時に椿村の限界でもあった。彼女は、初めて彼に本心を語った。
「そんなの、どうだっていいでしょ。少なとも、私はあなたのことが嫌いなの。夢を見過ぎなのか、都合の良いフィクションを見すぎたのか知らないけどさ、――――――――――
興味のない相手から向けられる好意ほど、気持ち悪いものなんてないのよ」
椿村はこう一言吐き出し、踵を返し、彼から離れていった。彼は、普段の彼女の態度が、好意によるものではなく、優しさ、或いは狭義の平和主義的な思考によるものであったとその時、痛感した。
一陣の風が吹き、木々が揺れた。その日、彼の姿を見たものはいなかった。
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