forget-me-not

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 私がその人の噂を聞いたのは、病床の中でした。訪ねてくる友もなく、一人本を読んで過ごしていた私に、彼女はある画家の話をしてくれました。  その人の、一番の幸福を描く似顔絵描き。かつての残響。未来への祝福。形は様々だけど、描かれた人だけに届く夢が写し出されるのだそうです。  私はふと、考えました。  私にとっての幸福なんてあるのだろうか? と──  生きるのは大変です。私が息をしているだけで幸せだと両親が言いました。私は、両親にそれ以上の期待を抱かせられない私自身を恥じました。もっと望むものがあったはずです。夢を見ることが出来たはずです。人並みの幸福はとても遠くて、私は精一杯手を広げて足掻きます。掴めるものは何も無いのに。  私が、その人に描いて貰ったら何が写るのでしょう?  願いは虚しく、私の意識は今にも途切れそうでした。過去の風景が遠ざかっていきます。彼女の記憶も随分色褪せて、私はその時のことをもう思い出せないのです。  ああ、ああ。このまま──  硝子の鐘がなりました。ちりん。ちりん。  迎え入れてくれるなら、せめて穏やかな場所がいい。
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