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私はぼんやりと両手を見ます。気づけば二本の足で立っていて、行き交う人々の流れは緩やかでした。見知った顔はいません。
迷子のように辺りを見回すとその人と目が合いました。いえ、その人が見ていたのは私の周りの敷石です。くるくると螺旋を描くグラデーション。
あいにく黄色い煉瓦は見当たりません。なんとはなしに白い敷石を辿りながら、そろそろと歩み寄ります。
様子を伺うように見つめると、彼が帽子を取りました。
今なら、今しか。私は勇気を奮い立たせました。
「あの、似顔絵を描いて頂けませんか?」
色素の薄い瞳でこちらを見遣り、彼は看板を指し示しました。
ええ、ええ。それが望みだったのです。ずっと。
雑踏に立って私は微笑みます。この瞬間が永遠になるのなら、これが天使の贈り物でも。悪魔の悪戯でも構いません。
完成したキャンバスが渡されます。
私は瑞々しい肌と、綺麗な服を着て微笑んでいました。それは光に満ちていて、私がついぞ得ることのなかった幸福です。誰かに向けた眼差しは優しくて……勿忘草? ああ、ああ。
この話をしてくれた彼女の姿が鮮明になって、私は涙を流しました。
交わした会話は判然としません。けれど、これで十分……
彼は一瞬、眩しそうに目を細めます。
何故でしょうか。身体が軽くなった気がしました。
「もうここに来てはいけませんよ?」
彼の言葉に私は驚愕します。
まるで戻れるみたいな口ぶりです。
そんな私の動揺をよそに、店長らしき人に頭をはたかれて幼子のように彼は口を尖らせます。
「ただし、このカフェの珈琲とパンケーキは、とびきり美味しいです」
……っ
また、来ることが出来るのでしょうか? 今度は自分の足で。
「ふふっ」
新たな夢が出来ました。私はもうすこしだけ、頑張ることを許されたのかもしれません。
運ばれた夢以上の何かを掴む機会を。
覚えている夢はここまで。私は目の前の彼女に告げます。だから、大丈夫。不安そうにしないで。
どうか、覚えていてね。忘れないで。
──ええ、珈琲とパンケーキは美味しかったですよ?
「ほんとう?」
ベッドの中で、少女の私が首を傾げました。
少女にとっては遥か未来。明日の先の光を届けて、私の意識はあるべき場所に還ります。
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